2008年06月20日

リマ

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』、

マチュピチュの歩き方』、

太陽の門』、

ワイナピチュ』、

クスコ帰還』、

アルマス広場』の続き。

翌朝はクスコから空路リマへ入る。ペルーの首都であるこの街も、世界遺産に選ばれている。まずは、旧市街へ。クスコ同様、街の中心にはアルマス広場が位置する。そしてその周囲には、カテドラル、サント・ドミンゴ教会、サン・フランシスコ教会等が位置するのもクスコと同じ。広場中央にある銅像は少しおかしくて、女神像の頭上にリャマがちょこんと座っている。本来は炎を乗せるよう指示されたらしいのだが、「炎」が動物のリャマと同じ発音だったため、女神の頭の上にはペルーではお馴染みのリャマが彫られてしまったのだ。伝達ミスというよりは、地元のペルー人のささやかな反抗という説もあるという(以前に「アウシュビッツとヴィエリチカ」で書いた、"ARBEIT MACHT FREI"の看板のエピソードを思い起こさせる)。

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ペルーはピサロによる侵略以後、スペインが支配下に置いたわけだが、ピサロにペルー支配の許可を与えたのはスペイン王カルロス1世であり、彼はまた、神聖ローマ帝国皇帝たるカール5世でもあり、当然ながらハプスブルグ家出身だ。僕なんかはハプスブルグ家というとウィーンやオーストリアのイメージが強いが、スペイン(や後のポルトガル)もハプスブルグ家が治めた土地であり、ハプスブルグ朝スペインはペルー等、新大陸領土も含めて広大な帝国であった。ハプスブルグ家は後に(フランスの傀儡とはいえ)メキシコ皇帝も輩出する。ヨーロッパというと英・仏・独・伊辺りの印象が強く、まだ行ったことのないスペインや、ましてメキシコなんて一体全体どうやって治めていたのか皆目イメージが沸かないが、このアルマス広場に面するタウンホールの建物には、ハプスブルグ家の紋章、双頭の鷲がちゃんと飾られていた。ヨーロッパからも遠く離れたこの土地で、植民地支配という歴史が何となくではあるが身近に感じられた。

LimaHabsburgo.JPG

衛兵どころか完全武装の装甲車がガードする大統領官邸や、植民地時代を偲ばせるファサードの装飾を眺めて旧市街を歩く。旧市街の建物は保存状態が悪く、もう長い事は持たないのでは…ということだった。事実、あちこちで崩壊しかかった建物も多く目にした。リマ市内観光は駆け足でもあり、サン・フランシスコ教会やサン・マルティン広場をちょっと眺めたくらいで、天野博物館へ行く事になった。

この博物館は日本人・天野芳太郎のコレクションを展示しており、プレ・インカ、中でもチャンカイ文化の土器や織物が展示されている。完全予約制で日本人博物館員の解説もつく。おそらく、リマへのツアーには必ず含まれる訪問先だろう。料金は無料だが、最後にミュージアムショップに通され、ここの売り上げで博物館が維持されてます…と言うわけで、お約束のお土産ショッピング。割と良心的な値段であり、僕も鮮やかな色彩のナスカ土器レプリカを購入してきた。

昼食後、空港で並ばないようにとコンチネンタル航空のオフィスで帰りの航空券を発券してもらうのに30分かけ、長旅の疲れにうとうとしながらホテルへ。23時40分発の飛行機まで、ホテルを利用できるのだ。最初にリマに来たときに泊まったホテルだが、偶然にも部屋も同じ。ホテルの「マイレージ」が溜まっていたので、マッサージを無料で受けたり、ラウンジでお茶したり、夕飯のビュッフェを頂いたりとくつろぎながら後は帰りを待つばかり。1週間のペルー旅行も無事に終える事ができた。初めての南半球、初めての南米だったが、ナスカやマチュピチュの景色に圧倒され、クスコやリマの街並みを楽しみ、なかなか充実した旅行であった。この次、南米を訪れるのは一体いつになるだろうか。
posted by としゆき at 22:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

アルマス広場

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』、

マチュピチュの歩き方』、

太陽の門』、

ワイナピチュ』、

クスコ帰還』の続き。

翌朝、クスコ近郊のピサックへ。火・木・日曜には地元の人たちの市場が立つのだが、あいにくこの日は水曜日。もっぱら観光客目当てのお土産屋が並ぶ。Tシャツでも買おうかと何軒かひやかしてみる。「地球の歩き方」等には1ドル=3ソルと書いてあるが、昨今のドル安傾向を受けてか、両替レートは1ドルが2.7ソルくらいになっていた。ドルが普通に通用したエジプトと違い、ペルーではどちらかというとソルを選好する傾向があって、お土産屋でも、値段はまずソル建てで提示される。Tシャツも1枚15ソルだというので、ドル建てでは?と聞くとなんと7ドル。まさか一晩でドルが暴落してるとも思えないが、為替相場も荒れていただけによもや…と思わせる(後ほど、ホテルの両替レートを見てみたら、やはり15ソルが7ドルはぼったくりであった)。とりあえず、ペルー名物コカの葉、地ビールのクスケーニャ、そしてこれまた名物、インカコーラ(コーラというよりも、オロナミンCみたいな味で、正直あんまり美味しくない)のデザインを3枚買うからいくらか…と聞いて、10ドルまで下げるのに成功。ただ、コカの葉Tシャツは在庫がなかったのか、知り合いの他の店から借りて(仕入れて)来たらしく、そちらの支払いを考えると12ドルにして欲しい…とネゴられるが、何とか押し切り商談成立。屋台と言うか露店と言うか簡単なお店だと言うのに、中にはクレジットカードを受け付ける所もある。もっとも、スキミングなんかを考えるととても使う気にはならないが。

ピサック市場には、竃を構えて料理を出してくれる店もある。ペルーではクイと呼ばれるテンジクネズミがご馳走とされ、実際に飼育されているところも見ることができた。名前から連想されるのとは違って、見た目はモルモットみたいで可愛らしい…と思ったら、モルモット自体がテンジクネズミの一種であった。クスコ市内最大のアルマス広場に面するカテドラルには、教会らしく「最後の晩餐」の絵画が飾られているが、その主餐として供されているのはクイだという。残念ながらカテドラルに入る事は出来なかったのだが、近くのお店でお昼を食べたとき、店内に複製がが飾られており、ちゃんと料理はクイだった。

Cavia.JPG CaviaPaint.JPG

太陽の神殿」で書いたように、翌木曜日には「聖体祭」が開かれるので、市内は観光客で大変混んでいる(おかげでカテドラルも閉鎖)。民族舞踊を踊る人々や、山車も出回っている。「クスコ帰還」で触れた、「まるで銀行強盗のようなフルフェースのマスク」の人々もいる。

Armas.JPG

今まで何度も触れてきたインカ特有の石造りだが、クスコ市内にはそれ自体が観光名所となる「12角の石」と呼ばれる石がある。アトゥンルミヨク通りに残る石壁に残るその石は、12もの角を持ちながら周囲の石とぴったりくっついている。王の一族(12人)を表すとか、1年12ヶ月を表すとかいろいろ言われているようだが、10角くらいの石はたくさんあるので、それほど意味はないのかもとはガイドの談。

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ところで「地球の歩き方」には、そのすぐ近くにある「14角の石」が紹介されている。日本人観光客が見つけたらしく、まだ海外のガイドブックには掲載されていないという。現地ガイドも日本人に場所を聞かれ、始めてその存在を知ったと言う。

14CornerStone.JPG

で、「12角の石」にしても「14角の石」にしても、はたまた他の普通の石組みにしても、インカの石組みを紹介するときには必ず「カミソリの歯一枚通さない」という形容がつく。そういわれると試してみたくなるのが心情というもので、わざわざこのために日本からカッターナイフを持参。試した結果は…少しも通さないとは言わないものの、確かに奥深くまでは歯を通さないと言った感じ。

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もっとも、そんな事はさておき、やはりインカ時代から続く石組みは美しい。

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その後、市内の教会や博物館を見て歩いたりして、夕方になるとアルマス広場にも照明が灯り始める。広場を囲むように並ぶレストランやカフェには、テラス席が用意されて広場を眺める事ができる。夕方の薄暮から夜にかけての広場の様子も、これまた美しい。街全体が世界遺産となっているクスコなだけはある。

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posted by としゆき at 16:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

クスコ帰還

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』、

マチュピチュの歩き方』、

太陽の門』、

ワイナピチュ』の続き。

月の神殿もインカ橋も諦めてホテルに戻る。当然、既にチェックアウトは済んでいるのだが、デイ・ユース用の部屋を借りられると言う。部屋を一時使用して、シャワーを浴びて着替えられるだけでも有難い…と思っていたら、デイ・ユースは宿泊用の部屋ではなくて、ホテル中庭に面したロッジだという。入ってみたら余りにも綺麗な部屋で驚いてしまった。相変わらずミニバーの飲み物は飲み放題だし、バスルームに至っては2つもついている。

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さすがに部屋数が限られるようで、ガイドも団体ツアーで人数が多いときにはデイ・ユースについては特に告知しないのだと言う。確かに下手に教えると、必要もないのに借りなきゃ損…という人も出てきて面倒だろうし。と言うわけで、今後ツアーでサンクチュアリ・ロッジに泊まった時は、ホテルの人にデイ・ユースについて尋ねてみましょう。

着替え終わってさっぱりしたところで帰りのバスに乗り込む。ハイラム・ビンガム・ロードをまたゆっくりと下っていくのだが、ここで有名なのが「グッバイ・ボーイ」。九十九折のカーブを曲がるところで"Good bye!"と手を振る少年、バスが再び折り返して一つ下のカーブにやってくると、同じ少年がまた"Good bye!"…これを麓まで繰り返して、最後にバスに乗り込んできたときには拍手喝采、チップをたんまりと稼いで行く…という名物、らしいのだが、残念ながら今回は目にすることは出来ず。何でも、子供の「バイト」の度が過ぎると言う事で2003年に一度禁止、その後、2005年に復活するも、学校の休暇中のみに限定…と言う事らしい。

ところで、麓のアグアス・カリエンテスは温泉保養地としても知られているらしい。ただ、日本人観光客が好奇心から温泉に入ってみて、その帰りに言った一言が「シャワーを浴びたい」だった…と言う事もあるようだから、日本人が「温泉」と聞いてイメージするものとは相当程度違っているらしいが。このアグアス・カリエンテスからまた電車に乗って、クスコの街に向かう。帰りの車内では、ペルー鉄道職員によるショーが突然始まる。最初は地元の伝統的舞踊ということだったが、目と口だけを穴からのぞかせた、まるで銀行強盗のようなフルフェースのマスクで踊りだす。その後、男女乗務員によるアルパカ衣装のファッションショー。車両の最奥部では、「銀行強盗」が衣装を畳んでいるのが笑える。

車内はやはり女性乗務員の時の方が歓声も、拍手も、カメラのフラッシュも多い。まあ、女性から始まって、続いて男性が歩いてきたときには単に車内を移動する乗客かと勘違いしてしまったくらいだから仕方がないか。余談だが、車内ではスペイン語、英語、そして日本語によるアナウンスが入る。ペルーを訪れるアジア系といえばまだまだ日本人で、最近世界中で増えている韓国人や中国人は少ないらしい。

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クスコに戻る頃にはもう夜。世界遺産にも登録されているクスコ市外の夜景はなかなかに美しいものだった。明日はクスコ市内の観光、そして明後日はリマに戻る事になる。

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posted by としゆき at 20:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

ワイナピチュ

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』、

マチュピチュの歩き方』、

太陽の門』の続き。

マチュピチュ入場は朝6時から。すぐ横に泊まっているんだから、朝静かな時間に歩いてみようと5時から朝食を取り始める。一般に、ペルーでは生野菜を食べる習慣が余りないらしく、朝食のビュッフェにもサラダがない。これは他のホテルでも余り変わらなかった。眠い目をこすりながら朝食を食べていると、5時半過ぎに、いきなりホテルにバスが横付けされ、どかどかと人が降りてくる。山の麓に泊まっている人たちが、朝一の遺跡を攻略しようと、もう登ってきているのだ。

6時過ぎに朝もやけぶるマチュピチュへ。低く立ち込めた雲が周囲を覆い、これもまた神秘的な光景だ。

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昨日同様、居住区最高峰のインティワタナへと登る。日時計の名の通り、ここからは東の空に登る太陽が良く見える。太陽が姿を見せるその瞬間、居合わせた人々からも感嘆のため息が漏れる。

MachupichuMorning3.JPG MachupichuMorning4.JPG

その後、一度ホテルに戻って麓に泊まっていたガイドと合流。今から思えば、何時にどこ、と細かな約束をしていたなかったのに、出口を出たところで偶然に落ち合えたのだった。遺跡を出る時間がもう5分ずれてたらどうなってたんだろう。そうして、ガイドも一緒にワイナピチュ山に登る事にする。400人の入場制限で、7時から登山可能となるのだが、朝5時半に登ってきた人たちは、誰よりも早く登ろうとしてやってきた人たちなのだ。8時過ぎに登山口にやってきてみると、何故か何十人もが座り込んでいる。まさかもう400人到達?と思って聞いてみると、今日は突然、100人辺りが入山したところで入場制限を行っていると言う。

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特に理由の説明もなく、整理券を配るでもなく、ただただ入場を停止中。ガイドが「これだからこの国は…」と毒づくが、仕方がないので待つ列に加わる。そうこうするうちにも第一陣から戻ってくる人もいるが、その分を新たに入場させるわけでもない。結局1時間程待たされてやっと入場開始。しかし、山から戻らない人の管理のため、名前と入場時間を書かされるのだが、マチュピチュに慣れたガイドはどんどん前の方に進んでいって、僕と離れてしまう。で、一足先に入り口に到達したガイドに、僕の分も記入したから前にいる人たちを抜いて入って来い…と言われ、周囲の人に申し訳なく思いつつも人ごみを掻き分けて進むと、「彼は私の夫の後ろにいたのに!」と非難の声が聞こえる。"Unfair!"という叫び声には、「このガイドに言ってくれ〜」と呟くしかなかった。

マチュピチュの遺跡からワイナピチュ山頂へは、高度で230メートル程度しかないのだが、歩いて登るにはたっぷり1時間かかる。崖道に石の階段が掘り込んであるのだが、ガードレールがあるわけでもなく、手摺があってもそれは崖側じゃなくて山側。小沢一郎はその著書「日本改造計画」で、グランドキャニオンに柵がない事から、自己責任の原則が貫かれたアメリカに言及しているが、ワイナピチュだって負けてない。本当に足を踏み外したら、命の保障なんてないだろう。ちなみに、本当はグランドキャニオンに柵はあるらしいのだが、いかんせん行った事がないので確認はしていない。行ってみたい場所リストの上位ではあるので、いつかこの目で確認してこようとは思うのだが。

ワイナピチュに話を戻す。途中、ロープや鎖が手摺代わりになっているところもあるのだが、場所によっては手摺と言うよりも本当にそうしたロープを掴んでよじ登らないと進めない場所もある。疲れ果ててだんだん無口になってくるのだが、上から帰りの人が降りてくると「これで休める」とばかりに立ち止まって先に行かせようとする。しかし登りでもよじ登らないといけないような坂なので、降りるほうもそう簡単には足を進めることが出来ず、にらみ合いの状態になってしまったりもした。

よじ登り、岩の洞窟を潜り抜け、滑りやすい石段を這い上がり、なんとかかんとか辿り着いた山頂から見る景色は、絶景の一言。マチュピチュの遺跡がミニチュアの様に小さく見える。

Waynapicchu.JPG

山頂は地面もなく剥き出しの岩石といった状態なのだが、ここまで登ってきた人たちも景色に魅入られたのか、はたまた疲れ果てたのか、動く事ができなくなっており、頂上付近は非常に込み合った状態。最高峰地点に立って記念写真を撮ったものの、撮り終わってふと横を見ると切り立った崖。思わず足がすくんで、その場に座り込んでしまった。なんとかずり降りて振り返ると、よくあんな所に立ったなぁ、というような場所。やっぱり上ばかり見て歩いてるのは危険だ。もっとも、ワイナピチュは高度2634メートル。昨日行った太陽の門よりは低い場所にある。

帰り道は帰り道でまたこれが大変。傾斜が急なので滑らないように注意して歩くだけでも気疲れする。途中、登っている途中で暑くなったのか、上着を脱ぎ捨ててロープに縛ってあるのが面白かった。帰り道に回収するのだろうが、僕も日も当たっていない登山道なのに汗だくになったくらいなので、長袖やジャケットを着ていた人などはたまらなかっただろう。

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帰り道も1時間以上かけて降りてくる。ワイナピチュ登山道のはじめの部分は少し下りになっており、どうせ登るんだからわざわざ下らなくても…と思っていたが、その大変さが本当に実感されるのは帰り道。行きで疲れ、帰りで疲れ、登山道の最低地点に達すると、そこから最後に辛い登りが待っているのだ。結局、戻ってきた頃には12時近くなっていた。朝早くから登り始めて、時間があれば昨日行けなかったインカ橋にも…なんて考えていたが、とてもじゃないがそんな余裕はなかった。また、ワイナピチュのさらに奥には、「月の神殿」と呼ばれる遺跡が待っている。こちらも余裕があれば行ってみたかったのだが、さらに往復で1時間半以上、時間の余裕はあるものの、体力の余裕はもはや残されていないのだった。


posted by としゆき at 21:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

太陽の門

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』、

マチュピチュの歩き方』の続き。

一通り遺跡内を歩いたところで、一旦遺跡入り口にあるホテル、マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジに戻る。今回のツアーではここに宿泊するため、本日も閉園まで、そして翌朝も開園時間からゆっくりとマチュピチュを堪能できる。ここのホテルは本当に素晴らしいので、マチュピチュ旅行を考えている人はぜひともロッジへの宿泊がオススメ。

http://www.orient-express.com/web/omac/japanese-machu-picchu-sanctuary-lodge.jsp

このホテルは部屋のミニバー、レストランを含めて飲み物が無料。まずはミネラル・ウォーターで渇いた喉を潤す。ちなみに、"Agua Con Gas"だと炭酸水になってしまうので、ちゃんと"Sin Gas"かどうかを確かめないといけない。どこぞのブログでは「炭酸ガスが混(Con)在」と覚える…等と書いてあった。さらに"Cafe Con Leche"だとミルク入りコーヒー、つまりカフェオレとなるので、ホテルでの朝食の際等、何とかの一つ覚えの様に"Cafe Con Leche, por favor."と言いまくっていた。普段はコーヒーはブラックなのに。

それはさておき、本日は天気も良い上に、マチュピチュは思った以上に起伏に富んでおり、一周してくるともう汗びっしょり。実はマチュピチュへの宿泊は一泊分だけの荷物にしてくれ…と言われており、残りのスーツケースは既にクスコに送ってしまっている。しかもクスコやマチュピチュの朝は冷え込んで肌寒い、等と聞いていたものだから、Tシャツや半袖シャツはスーツケースの中。逆に、寒さ対策で日本から持ってきたコートは持ってきてたりする。仕方がないのでホテルで売っていた「インカ道トレッキング」Tシャツを購入。半袖でも全然問題なし。ただ、日焼け止めは欠かせないが。インカ道というのは、インカ帝国時代に全国に張り巡らされた道路網で、現在ではトレッキングのコースともなっている。

ホテルでの昼食後、Tシャツに着替えて再び遺跡へと繰り出す。ホテルで提供される水はビン詰なので、手持ちのペットボトルに補充して出発。このホテルはオリエント・エクスプレス・ホテルズによって運営され(ここに来る時に乗った電車、ペルー・レイルも所有)、海外からの観光客も多いせいなのか、環境に気を使っている事をアピールするため、ペットボトルでは水は提供していない。また、ゴミ箱も紙、プラスチック、ガラス、生ゴミ("organic")と4分類されていたりする。もっとも、「ゴミ箱の入り口が分かれているだけで、あんなの裏では一緒にしちゃってますよ」とはガイドの談。

午後は遺跡から山の斜面沿いにインカ道を進み、インカの橋に行ってみるつもりだった。「地球の歩き方」によれば、「橋はジャングルから突き出した石積みに、3本の丸太をかけたもので、敵が侵入してきたら丸太を落とす仕組み」だと言う。ところが、道を一本間違えて、坂道を登っていったらインカ道へのコースとは違うところに出てしまった。途中の目印にしていた見張り小屋はすぐそこに見えるのだが、間には進入禁止区域が立ち塞がる。午前中の活動で疲れていたせいで、これには随分と参ったが、気を取り直して急遽、目標変更、今いる道をさらに進んで太陽の門(インティプンク)を目指す事にした。

インカ道は「インカ古道ハイク」等と言うツアーが売り出されるくらい、トレッキングのファンには魅力のあるものらしい。僕達は電車で遺跡麓のアグアス・カリエンテスまでやってきたが、途中下車して一日がかりでアンデスの山道を歩いてくる人も多い。その場合、この太陽の門がマチュピチュへの「入り口」となる。古のインカ時代にも、インカ道を通ってマチュピチュにやってきた人々は、この門までたどり着いて始めてマチュピチュの景色を目にすることが出来たと言う。

IntipunkuFar.JPG

途中すれ違う人に聞いてみると、非常にゆっくり進めば片道約45分程だと言う。勾配自体はあまり険しくないが、体力的にはやっぱり厳しくて、ペットボトルの水がどんどん減っていく。途中、崩れた遺跡の跡地(と言うのも変だが)みたいなところがあり、距離的には半分くらいか。しばしの休憩の後、さらに足を進めていくとついに太陽の門が見えてくる。結局、45分どころか一時間もかかってしまった。トレッカー向けのパンフレットを見ると、下りとはいえこの帰り道は20分程度等と書いてあったりする。トレッカー、恐るべし。

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標高2720メートル、ここから眺める遠方のマチュピチュの姿もまた、なかなか。自分でもよくここまで登ってきたなぁ…と感慨にふけっていると、座り込んだ外国人が突然、「み…水…水、持ってない…?」と話しかけてくる(意訳)。余りにも衰弱仕切っている様子なので、ペットボトルごと、水をあげる。困ったときはお互い様だが、おかげで貴重な水筒代わりのペットボトルを失う。リマやクスコで毎晩配られるミネラルウォーターのペットボトルが山ほどスーツケースに余っているというのに。他の観光客は、トレッキング用の水筒を持参している人も多かった。また、アンデスの民芸品で、ペットボトルを首にかけるホルダーも大人気。中には2リットルのペットボトルをぶら下げた人も。

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帰り道はまた一時間程かけて戻っていく。途中、遺跡から抜け出したリャマの姿に驚きながら(放し飼いなので、こんなところまで遊びに来ている)、夕方で既に日帰り客の帰ったマチュピチュへ。人っ子一人いない、と言うわけではないが、やはり人気の少ない夕闇の遺跡の姿は、神秘的な姿でもあり、昼間とはまた違った感動が沸いてくる。

LlamaIntipunku.JPG MachupichuEvening2.JPG

疲れきってホテルに戻り、シャワーを浴びると、いつの間にか寝入ってしまった。おかげで夕飯を食べられず。ここのホテルの夕飯はなかなかのものらしいのに。とりあえず、折角買ったのにまた汗ぐっしょりになってしまったTシャツをランドリーに出す事にする。なんと料金は1ドル。しかも、普通のホテルのランドリーは、朝出すと夕方帰ってくる事が多く、オーバー・ナイトで頼むと特急料金になったりする。ところがこのホテルでは、夜出して翌朝受け取るのが標準コース。つくづく観光客に優しい発想のホテルだ。
posted by としゆき at 23:34| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

マチュピチュの歩き方

地上絵体験』、

太陽の神殿』、

いざマチュピチュへ』の続き。

バスを降りて、崖に沿って曲がった道を進んでいくと、視界が開けた瞬間、目に入ってくるのはガイドブックや体験記で何度も何度も目にした、マチュピチュ遺跡の威容だった。多くの観光客が、もうこの瞬間にやられてしまい、ほぼ全員がカメラを構えている。入場して真っ先に目指すのは「農地管理人住居跡」。急な坂道を息を切って登っていくと、そこはマチュピチュの全景を最も美しい形で見下ろす事ができる場所だ。

MachuPicchu.JPG

箱庭の様なマチュピチュの遺跡、そして後方にそびえる山はワイナピチュ。ちなみにマチュピチュは「老いた峰」、ワイナピチュは「若い峰」の意味だ。マチュピチュ遺跡はマチュピチュ山とワイナピチュ山に挟まれた、いわば尾根の位置に位置する。ハイラム・ビンガムが1911年に発見したときには、インカ軍の立て籠もった最期の砦、ビルカバンバだと考えたが、その後の研究では否定されている。しかし、クスコやリマ等、スペイン人の破壊と略奪で変容してしまった街と異なり、インカ時代の面影が全くそのままで残っているこの遺跡は、見るものを圧倒してやまない。

現在の入り口付近は段々畑の中にあるが、その中を進んで本来の市街地入り口へと向かう。すぐ脇には、クスコ市内で見学したコリ・カンチャ(「太陽の神殿」参照)と同様、曲線美の石積み建築が見受けられ、こちらもまた「太陽の神殿」と呼ばれている。

TemploDelSol.JPG

マチュピチュは500〜1000人程度が居住していたと考えられるが、市街地には庶民や技術者、貴族等の居住区域が並ぶ。そのまま進むと、剥き出しの岩石が並ぶ「石切り場」と呼ばれる場所に至る。もっとも、本当にいわゆる「石切り場」だったわけではなく、これらもまた「ワカ」として扱われたと考えられている。実際、居住区や神殿等の土台でも、天然の岩等が存在する場合には、そのまま生かして使われている事が多い。

神殿や神官の館等が並ぶ「神聖な広場」を過ぎて登っていくと、居住区の中では最も高い場所に位置する日時計「インティワタナ」に辿りつく。このインティワタナに触れると石のパワーが得られる…と言う事だが、どこぞの国のテレビ局の取材時にクレーンが倒れて傷を付けてしまったとかで、残念ながらロープで囲まれている。もっとも、日本なんかと違ってロープも形式的で、手を伸ばせばすぐそこに届くのだが。さて、僕はパワーを受ける事ができたでしょうか。

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インティワタナからリャマ達のくつろぐ「大広場」を挟んだ反対側辺りが「貴族の居住区」。

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広場沿いにそのまま進むと、ワイナピチュ山への入り口付近に「聖なる岩」が位置する。これまた天然の一枚岩で、やっぱりロープで囲われているものの、触れることでパワーが得られると言う。さて、僕はパワーを(後略)。

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ワイナピチュ山は、現在では一日400人までの入場制限を行っている。僕達がたどり着いたときにはあと3人でその日は終わり…という所だった。一瞬、そのまま登って行きたい誘惑にも駆られたが、まだ遺跡内の観光コースも折り返し地点だし、とりあえず諦めて、翌日に天気と体力の様子を見ながら…という事にした。

居住区は住民のランクによって石積みの精巧さが異なる。貴族や神官用の建物はきめ細かな石積みであるのに対し、庶民用は結構ラフに積んであったりする。たとえば「王の区画」と呼ばれる部分は、一見して他との差別化が図られている。

KingsPalace.JPG

居住区には「石臼」として知られる構造物がある。様々な学説があるが、ガイドの説では、石臼のある場所が屋外である事等から、薬草から製薬等を行う作業場だったのではないか…とのことだった。

StoneMill.JPG

また、「コンドルの神殿」を呼ばれる建造物の近くには牢獄とされる部分もある。インカでは「盗まない、怠けない、騙さない」という掟があったと言うが、怠けようものなら半殺しの目にさえ遭ったという。そうであればこそ、このような遺跡を作り上げる事ができたのかもしれないが。

Condor.JPG

さらにマチュピチュには17箇所もの「水汲み場」が存在し、遺跡内にも水路が張り巡らされている。先ほどの「王の区画」の一室等は、水洗トイレさえ完備されていた(さすがに全ての住居にはないのだが)。

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水汲み場の近くには、岩石を斜めにくりぬいた様な半地下の建物があり、本来の使用目的ははっきりしないが、現在では「陵墓」と呼ばれている。ケンコー遺跡にも似たような台が存在したが、この「陵墓」はミイラを祭ったりした場所ではないかと考えられている。

LaTumbaReal.JPG

posted by としゆき at 21:16| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

いざマチュピチュへ

地上絵体験』、

太陽の神殿』の続き。

宿をとったウルバンバ周辺は、ウルバンバの谷、あるいは「聖なる谷」と呼ばれる一帯だ。その中心に位置するのがオリャンタイタンボの遺跡。タンボとはケチュア語で「旅籠」を意味する。対スペイン反乱の拠点とされたが、スペイン軍の攻撃を受け、インカ軍はさらに奥地のビルカバンバへと撤退していく。早朝にホテルを発ち、まずはこのオリャンタイタンボへと向かう。まだ早いせいか誰もいない遺跡は、堂々たる段々畑と、その脇を縫う階段からなる。

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階段を登って広場へ出てみると、6個の巨石が待ち構えている。やはりここも神殿として使われたという説があるが、川を越えて向こう側の山から切り出されたというこれらの巨石を、一体何故、どのように運んだのかは謎のままだ。

Ollantaytambo2.JPG

また、インカ帝国は短期間で広大な範囲を支配するに至るが、必ずしも武力による支配だけでなく、平和裏な交渉によって影響範囲を広げたらしい。その際に有効だったのが飢饉の際の「食糧安全保障」であり、タンボは食糧貯蔵庫としても用いられたとも言う。朝もやに浮かぶ巨大な遺跡、そしてはるかかなたに見えるアンデスの雪山はとても感動的な光景だ。

その後、近くの鉄道駅から、観光列車ビスタ・ドームに乗ってマチュピチュへ向かう。車両の天井がガラス張りになっており、アンデスの山々やインカ時代の遺跡を眺めながらの1時間半の旅はなかなか爽快だ。どのガイドブックを見ても、行きは進行方向左側の座席が良い、と書いてあるが、配られたチケットは幸いにして左側。窓ガラスを開けて「写真撮影も準備万端!」と身構えていると、後方から苦情が…。聞いてみると、窓から入る風が寒いと2列後ろの日本人老人が苦情を言っているという。「この程度で…」と思いつつも、まあ、高山病で脳に酸素が回ってないかも知れないし、面倒なので席を替わって車両最後尾へ。結果的にこれが功を奏し、窓を開け放っても誰にも文句を言わせないでベストポジションをキープ。件の老人は、自分もビデオカメラを抱えてはいるものの、窓越しの撮影となって果たして良い映像がとれたものやら。

VistaDome.JPG VistaDome2.JPG

そうこうするうちに電車は終点のアグアス・カリエンテス駅へ。ここでバスに乗り換えて、マチュピチュ発見者にちなんで名付けられた、九十九折のハイラム・ビンガム・ロードを登っていく。斜面を切り返す事13回、400メートルの高さをゆっくり30分かけて進むと、山の下からは何も見えなかったのに、徐々に徐々にバスの前方車窓からは段々畑がちらちらと見えてくる。さあ、いよいよペルー観光最大の山場、マチュピチュ遺跡に到着だ。
posted by としゆき at 21:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

太陽の神殿

地上絵体験』の続き。

一夜明けて、リマから空路クスコへ。ケチュア語で「へそ」を意味し、インカ帝国の首都でもあったこの街は、標高約3400メートルに位置する。空港に降り立つと、海岸地帯に位置しているリマから、一気に酸素の薄い所へやってきたのが実感される。今回は日程の都合で行けなかったが、ペルーとボリビアの国境に位置するチチカカ湖に至っては、標高3800メートル以上、富士山より高い場所にある。実際、ペルーに来たばかりの慣れない観光客は、多くが高山病に苦しめられる事も多いと言う。高山病予防としては、日本では緑内障の薬として処方されるダイアモックスという薬が良いとされる。ナスカでの酔い止め薬に続き、高山病も薬を飲んでおいたせいなのか、さほどひどい症状になる事はなかった。

まずはクスコ近郊、サクサイワマンに移動。インカといえば石の文化だが、このサクサイワマンは巨石を積み上げた要塞跡だ。スペイン人のコンキスタドール(征服者)、フランシスコ・ピサロに対して反旗を翻したインカ軍が立て籠もるも、スペイン軍に破れ、要塞も破壊されてしまった。毎年冬至(南半球のここでは6月)になると、古のインカの儀式を再現した「インティ・ライミ(太陽の祭り)」が行われるのもここサクサイワマンだ。「地球の歩き方」によれば、リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)とオルーロ(ボリビア)のカルナバルと並び、南米三大祭りと並び称されるらしいが、現地ガイド曰く「学芸会のような芝居」が披露されるとの由。

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さらにバスは進んでケンコー遺跡へ。インカでは天然の樹木や岩石等の中で、奇異な形の物を「ワカ」と呼んで崇め敬った。ケンコーもそうした「ワカ」の一つであり、天然の巨岩が並ぶ中、石を掘り込んだ玉座や、ミイラ作成のためとも生贄を供えるためとも言われる台等が残されている。

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ところで、サクサイワマンやケンコー等、およそ観光客のいそうなところには民族衣装を着たり、リャマをつれたりした原住民(インディヘナ)の親子連れがいる。簡単な民芸品を売っていたり、「シャシントッテクダシャイ」等と声をかけてきて、お金を請求したりしている。遠目から遺跡の写真を取ろうとカメラを構えても、「マネー、マネー!」と叫んでくるので侮れない。何枚か写真を撮って、お礼に1ドル紙幣を渡すと、「全員に欲しい…」と悲しそうな顔をするが、世の中には相場と言うものもあり、そうそう大盤振る舞いするわけにもいかない。父親、というか男性の姿はついぞ見かけなかったが、妻と子供を働かせて一体どこで何をしているのやら。

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その後、クスコ市内に戻って昼食。爆竹が鳴ったり、音楽が演奏されたり、外が何やら騒がしいと思ったら、今週木曜日(この日は日曜日)に、「聖体祭」が行われるとかで、近郊の各地から「おらがご神体」を担いだ人々が大挙して繰り出してきている。クスコには後日また戻ってくる事になっているので、お祭りの様子も楽しみだ。

そしてサント・ドミンゴ教会、インカ時代のコリ・カンチャ=太陽の神殿へと向かう。インカ名物の精巧な石組みと共に、黄金だらけの装飾にスペイン人が目を丸くした…という神殿だ。当時は金の泉、金の石畳、金のリャマをつれた人間像、さらに金の祭壇、金の太陽像…と、文字通り黄金尽くしだったという。ちなみに、略奪の限りを尽くしてそうした黄金を持ち出した結果、スペインでインフレが起こったのは以前に「マネタリスト」でも書いたとおり。スペイン人はこの神殿の土台の上に教会を建てたが、大地震の際に教会は崩れたものの、インカ時代の石組みは無事に残ったと言う。

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さて、高山病予防のためにクスコより標高の低いウルバンバの町に泊まることにする。温暖なこの町は、クスコにとっての保養地となっているという。ロッジ風の小洒落たホテルでゆっくりと睡眠を取り、明日はいよいよマチュピチュへ向かう事になる。
posted by としゆき at 23:18| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

地上絵体験

一週間お休みをもらって、ペルー旅行に行ってきた。ペルーへは直行便がなく、今回はコンチネンタル航空で成田からヒューストンへ、そこで乗り換えてペルーの首都リマへ入る。アメリカでの乗り継ぎは2時間程で、どうもこれが最短ルートらしい。とはいえ成田を発ってから20時間以上の移動は体力的にかなり厳しい。しかも行きの飛行機は今どき映画も決められた時間にしか上映されない旧機種で、もっぱらペルー関係の本を読んで過ごす。いわゆる旅行ガイド本でペルーは少ないのだが、定番の「地球の歩き方」と共に、「マチュピチュ(写真でわかる謎への旅)」がなかなかオススメ。特に後者はガイドのネタ本なのか、現地でガイドの説明を聞いたときにも、そうそう、そう書いてあった、という感じで分かりやすい。もちろん、どんなに文章で読んで理解しても、百聞は一見にしかずと言うわけで、そこにこそ旅行の醍醐味があるのだが。

とりあえず、リマに一泊して、翌日はペルー名物の一つ、ナスカの地上絵見学へ。ペルーの(というか、南米アンデス地方の)歴史は大きく分けて、インカ帝国以前(プレ・インカ)、インカ帝国(15世紀半ば〜16世紀前半)、そしてスペイン植民地以後、となる。プレ・インカ時代には様々な地方文化が栄えたが、ナスカ文化以外にも、たとえば多数の黄金で知られるシカン文化等が有名だ。その中でも、ナスカといえば余りにも有名な地上絵で、その知名度は群を抜く。

今回のツアーではリマから300キロ程離れたオアシスの町、イカへと飛行機で飛び、そこから直接、地上絵上空までセスナで遊覧することになる。朝8時発の飛行機と言う事で、7時過ぎから空港に来るものの、いつまで待っても出発がアナウンスされない。delayならdelayでもいいのだが、8時発のイカ行きは、いつまで経っても画面に何も表示されない。7時発の同じくイカ行きはdelayと表示されているから、それが出ない事には8時の便も飛ばないとは思うものの、空港職員に聞いてもよく分からないとかで、気がつくといつの間にか待合室にはナスカ目当てと思しき日本人ばかりが取り残されている。結局、10時発にdelayと表示され、実際には10時半の出発となった。

もっとも、天候によっては本当にキャンセルになったり、現地まで行ってもセスナが飛べないとかで地上絵を断念する場合もあると言う。ちょうど前日もそんな日で、見逃した人たちはツアー最終日に組み込まれた市内観光等をやめ、再度ナスカに挑むと言う。出発こそ遅れたものの、イカに着いてみれば眩いばかりの快晴で、僕達は恵まれているのかもしれない。

イカに到着して早速セスナに乗り込む。イカからナスカまでは150キロ。アラスカでの経験(「雪山の年越し」参照)から酔い止め薬を飲んでおいたせいか、今回は揺れても何とか平気。ただ、実際に地上絵上空まで来ると左右両側の席の人に平等に見せようと、セスナが右に左に急旋回して結構辛い。地上絵は意外にあっさりと描かれており、パイロットがつたない日本語で「ミギ、ミギ、ハネノシタ!」等と教えてくれないと見逃してしまいそうになる。以前に「ナスカ」で書いたヴァーチャル・リアリティよりも、高度からの観測となったせいもあり、肉眼でなんとか確認できても、カメラを構えるとその狭い視野になかなか地上絵が入ってこない。それでも何とかシャッターを切った中から2点ほどどうぞ(左はハチドリ、右はやや小さくて見にくいがコンドル。どちらも有名な地上絵)。

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結局無事に遊覧飛行を終え、イカの町で考古学博物館を見学。アンデスはミイラ作成や、頭蓋開頭手術をしていた事で知られるが、この比較的小さな博物館でもミイラや頭蓋骨がずらりと展示されている。カーテンの向こう側に見えた戸棚には、頭蓋骨が無造作に収納されているのがなんとも言えない不思議な光景だった。アンデスの雪の中から見つかったミイラなどは、髪の毛どころか皮膚や筋肉までそのまま保存されており、なんとも生々しい。その後、砂漠地帯の中にぽつんと存在する池、ワカチナというリゾート地を見学してリマへの帰途に着いたのだった。
posted by としゆき at 21:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ペルー紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする