2011年11月28日

ゼッド

東京ディズニーリゾートで常設上演されていた、シルク・ドゥ・ソレイユの「ゼッド」を見てきた。以前から見たい見たいとは思っていたが、なかなか行けずにいた。そうしたら、年内いっぱい、12月31日が最終公演というので、見逃してはいけないと浦安まで行ってきた。

以前にも、今年のゴールデンウィークに原宿で上演されていた「クーザ」を見に行き(『クーザ』参照)、7月末からアメリカ西海岸に行ったときには、ラスベガスで「O(オー)」と「KA(カー)」を見てきた(『ショー in ラスベガス』参照)。「ゼッド」は、ラスベガス同様常設小屋でリピーターを含む本格的なショービジネスを狙ったが、あえなく2008年以来、3年と少しでその幕を閉じることとなった。

「ゼッド」は、常設小屋ではあるが、「O」や「KA」の巨大で派手な舞台装置、スピーディーな演出というよりも、伝統的な「サーカス」に近く、どちらかというと「クーザ」のイメージの方が近いかも。もっとも、オープニングで、天井部分の足場を覆う布が一斉に解き放たれて行く様子なんかは見ていてドキドキする演出だった。全体的に青白い色のイメージだが、天と地の2つの世界が舞台となり、地の世界は赤色、点の世界は白色で表現されている。

天井からぶら下がる布を体に巻きつけて巧みに上下する演技や、ステージに立てたポールを旨く足で挟みながら、トランポリンも使って飛び降り、飛び乗りする演技等、重力を忘れさせる演技はシルク・ドゥ・ソレイユ一流の演出。ジャグリングや空中ブランコ、綱渡りとサーカスの王道が目白押し。もちろん、合間合間の道化役のとぼけた演技も欠かせない。

そういえば「ゼッド」では「やらせ」の観客はいなかったなぁ。「クーザ」では特定の席がやらせ専用シートだったが、「KA」なんかだと観客の携帯を取り上げて火の中に投げ込んじゃう(もちろん仕込み)など、やらせ自体も派手目の演出だったけれど。

以前会社の後輩が、「ゼッド」が好きで何度も足を運んでいると話していたが、確かに作品としては面白い。未見の方にはオススメ。既に12月はほとんどの日が売り切れのようだが、チャンスがあればぜひどうぞ。
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2011年05月08日

クーザ

連休中に原宿ビッグトップで「KOOZA(クーザ)」を鑑賞してきた。地震の後暫く休演していたみたいだが、ゴールデンウィークに向けて復活。シルク・ドゥ・ソレイユ(フランス語で「太陽のサーカス」)の公演作品だが、見に行ったのはこの作品が始めて。思ったよりも小さいかな?と思う会場だったが、舞台を身近に感じられるからこれくらいの方がいいのかも。

開演前から、客席を道化師達が歩き回り、あちこちで観客にちょっかいを出している。ポップコーンを(文字通り)ばら撒いてたり、風船細工で小さな子供の興味を引いたり。騒ぎを起こす道化師を警察官(役)が追いかけて捕まえるのだが、賄賂を渡されて見逃してたりと芸が細かい。この賄賂のドル(?)札は近くの席の観客に手渡されていた(これはちょっと羨ましい)。

クーザの世界に迷い込んだイノセントを、トリックスターが導きながら様々な演目を展開していく。会場に「本日の公演内容」みいたいなポスターが張ってあるのだが、演目が「シャリバリ」だの「コントーション」だの、パンフレットがないと何のことか分からず。ちなみにパンフレットと当日の公演を見比べると、「ピックポケット」と言う演目がなかったようだ。ちょっと残念。

基本的にはサーカスの伝統的な演目に、歌と踊りとをミックスして演出している。上海雑技団の様な軟体パフォーマンス、空中ブランコ、ジャグリング等もあるが、像とかトラとかは出てこない。ナイフ投げこそないものの、マジックのコーナーはあり、王様を含む道化師3人が進行。観客席から選んだ人をステージに上げて、思いっきりダンスさせたり、マジックで消してしまったり。最初に呼ばれた男性はノリノリで自分から踊りまくり、ステップ踏みまくりで観客席からも大喝采。その後を受けた二人目の女性は恥ずかしがっててかわいそうだったが、早々に入れ替わりで消えてしまったのは不幸中の幸いか。

ちなみにこの女性が消えた後の演目、「ホイール・オブ・デス」がかなりの出来栄え。二つの金属の輪が繋げられて天井から吊り下げられ、その輪を二人の人間が人力でぐるぐる回していく。最初は輪の中をモルモットの様に走って回していたのだが、途中から輪の外側に乗って回したり、天頂を過ぎて下りに入る部分で輪からジャンプして、輪が回転して下がって行く分、着地までの距離が増えると言うのが見ていても怖い。さらには縄跳びを始めたり、これは本当に手に汗握るのでおススメ。

そして観客がこの「ホイール・オブ・デス」に圧倒されてやんやの拍手をしていると、突然ステージの穴から先程の女性が帰還。大爆笑と大拍手なのだが、この女性は「ホイール・オブ・デス」を楽しめなかったのだろうか?どこか特等席で見ていたと信じたいが…。

また、Cブロックのとある座席に座ると、ステージに呼ばれなくてもサプライズがあって楽しいので、チケットを買うときにはおススメ…と書こうと思ったのだが、ネット上の情報では、上記の消える女性共々、関係者で観客じゃない説もあるので敢えて席番は書かない。事情を知っている方は教えて下さい。

シルク・ドゥ・ソレイユは初めてだったが、とっても楽しめたので、今後も是非見に行きたい。
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2010年08月08日

ザ・キャラクター

池袋の東京芸術劇場で、NODA MAPの『ザ・キャラクター』を観て来た。いつものごとく、ネタバレ注意。

古田新太演じる書道教室の家元が、ギリシャ旅行後、自分にゼウスが憑依した…として、ギリ写経を教え始める。弟子達はひたすらギリシャ神話を写経し、世間から隔絶していく。子供達をを書道教室に奪われた家族達が、メディアと共に糾弾を開始、両者の対立関係は先鋭化していく。本来は純粋だったはずの書道教室の活動も、そのアピールが世間から嘲笑され、次第に過激な思考へと落ち込んでいく。言うまでもなく、。90年代日本と世界を震撼させえたオウム真理教がモチーフになっている。

ギリシャのホームレスが叫ぶ"Give me change"=「小銭を恵んで下さい」を、「変化を下さい」と誤解し、そしてさらには自分達を理解せず、受け入れない世の中は、"Kill me, change"を叫んでいるのだ…とし、腹心の弟子達に「チェンジ」を命じる。

主人公、マドロミ(宮沢りえは、やはり上手い)は潜入取材を試みた弟の後を追い、自らも書道教室に入会、教室内での地位を上げ弟失踪の真実を探していく。現代の書道教室とパラレルに流れるギリシャ神話の世界、ダプネーを愛し、神々の世界から飛び出そう…と誘うアポローン。しかし二人の愛はかなわず、ダプネーは月桂樹に姿を変えられてしまう。

そしてこのメタファーは、物語後半、装いを少し変えて再び登場する。書道教室の内容に疑問を持ち、真相を世間に発表しようとする女性会員は、「チェンジ」を示唆するゼウス=家元の命で、とある薬品を使って殺害されてしまう。そして物語終盤、精神的に追い詰められた弟子達は、ビニール袋入りの「薬品」と、傘を持って巷へと向かって行く(「セイレーン」の叫びと呼ばれていたのは、当然「サリン」のもじりだろう)。

今回のパンフレット、恒例の巻頭エッセイは久々に面白かった。最近イギリスやタイを中心に、海外との交流の目立つ野田秀樹だけに、日本で、日本人こそが本当に理解できる文化を…と言う事からこの作品が作られたという。確かに漢字をビジュアル的に多用した演出や、最近の作品では余り見られなくなっていた言葉遊びの面白さが目立つ。そして何よりも、オウム真理教事件と言う日本の社会病理を描いたこの作品、確かに「輸出」するのは相当難しいかも知れない。

『ロープ』(白いマットのジャングルに』参照)や『バイパー』(こちらは余りにも面白くなかったので、日記にも書かなかった)を経て、個人的には再び魅せる作品に回帰してくれた事が嬉しい。来年2月には『キル』以来の妻夫木聡蒼井優で新作も上演予定。こちらも待ち遠しい。
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2009年08月18日

観劇@銀座2作品

銀座で観劇を2つほど。6月にシアタークリエで「ゼブラ」、今月はテアトル銀座で「斎藤幸子」を鑑賞。

「ゼブラ」は向田邦子の「阿修羅のごとく」へのオマージュ作品ということで、女子4人姉妹のお話。長女は斉藤由貴、次女が星野真里、三女が山崎静代(南海キャンディーズのしずちゃん)、四女が大沢あかね。本当は次女は檀れいの予定で、サントリー金麦のCMも気に入っていたので楽しみだったのだが、病気で降板。急遽、代役で星野真里と発表され、「こんな直前で大丈夫か?」と思ったが、普通にこなしているようだった。女優、恐るべし。

物語は、三女の結婚を控える中、入院中の母親の病状悪化、夫の浮気問題を引きずる長女、家族を捨てて出て行った父親への反発を隠そうとしない次女等、それぞれが、それぞれの問題を抱える四姉妹の愛憎を描く。ある意味、主人公的な扱いを受けるのが次女で、やや神経質な印象も与える星野真里は好演だった。父親が出て行く当日の様子の回想シーンもあり、この辺がいかにも舞台っぽいのだが、全員がそのまま子供時代を演じている。4人のパジャマ姿やセーラー服姿もあり、しずちゃんファンには彼女の体操着姿も楽しめる(?)。

ストーリー自体は割りと淡々と進んでいく。長女役の斉藤由貴が感情がいっぱいいっぱいになってちゃぶ台の上のお皿を払いのけるシーンは、2列目で観ていたこともあって思わず声を上げてしまった。

「阿修羅のごとく」のオマージュだということなので、帰ってきてから映画版の「阿修羅のごとく」をレンタルしてきて見てみた。こちらは長女が大竹しのぶ、次女が黒木瞳、三女が深津絵里、四女が深田恭子。さすがに似ているところもあるが結構換骨奪胎されているようだった。こちらで主人公的なのは三女の深津絵里。やはり映画版では彼女が好演している。四姉妹ではあるが、キーとなる役柄と言う事なのだろう。

さて、「斎藤幸子」は月島のもんじゃ焼き屋さんを舞台に、幸せとは何かを捜し求める幸子とそれを取り巻く人々の物語。斎藤幸子役は斉藤由貴。もっとも、こちらは「さちこ」役であり、元々はオリジナルの小劇場作品のリメークだから斉藤由貴とは何の関係もない。画数占いでは波乱万丈だということで、高校時代に毒ガエルに噛まれて失神し、人生観をころりと変える幸子。

初めて会った高校の担任と駆け落ちはするは、大阪新地の水商売に身をやつし、そこで知り合ったお客のビジネスパートナーを自称するは、挙句の果てにそいつが詐欺師だは…と波乱万丈なのだが、最後は大団円で終わるのが下町らしい。下町と言えば、ややわざとらしさもあるが、ほとんど喧嘩腰で機関銃の様に飛び交うべらんめぇ口調が楽しい。月島とか、本当にあんな「濃い」人間関係で暮らしてるんだろうか?

脚本がよく練られていて、笑えて、最後にはしんみり…という王道を行っている。12人(と犬と猫)が登場するが、無駄なキャラクターと言うものがいなくて、皆がそれぞれに物語の要所要所に絡んでくる。人物造形もよく出来ている。

僕が行った日はたまたま、斉藤由貴、河原雅彦(演出)、鈴木聡(脚本)の3人によるアフタートークも開催された(最後、坂本君役の中山祐一郎も飛び入り参加)。3人とも初めてと言っていたが、僕もこういう企画は初めて。お客さんも3分の2くらいは残っていた様子。途中、お客さんから集めた質問アンケートに答えるという企画もあったが、話が弾みすぎて読まれたアンケートは結局2、3枚しか読まれずじまい。こういう企画は他の舞台でもやってくれないかな。

パンフレットには出演者一行で月島もんじゃツアーに行った時の様子が出ている。お店は月島の好美家。

http://www.monja.gr.jp/monja/yoshimi/yoshimi.htm

僕はもんじゃ焼きよりもお好み焼き派だけれど、アフタートークがなければ観劇後に行ってもよいかな、と思ってしまった。銀座から近いし(関係ないのだが、この舞台はパルコ・プロデュースなので、もう少しで銀座でなく渋谷に行ってしまうところだった)。

この作品は30日までやっており、非常にオススメなので是非どうぞ。会場でブルドックソースのもんじゃ焼きセットもお土産に買えます。
posted by としゆき at 21:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

覇王別姫

先日、京劇の「覇王別姫〜漢楚の戦い〜」を見てきた。天津青年京劇団による公演。以前、北京に旅行したときに現地で京劇を見たが、なんだかよく知らない仙人のお話だったので、日本語音声ガイドの解説を聞いてもいまひとつぴんと来なかった覚えがある。もっとも、このときはかぶりつきに設けられたテーブル席で、点心をつまみながら観劇できるというなかなか洒落た席だった。

さて、覇王と言えば「項羽と劉邦」で知られる項羽。尊号を求める項羽に、張良が三皇・五帝・三王・五覇の例を上げ、項羽自ら選んだのが王号と覇号を兼ねた「西楚の覇王」。京劇では覇王=項羽は白黒のメークで登場する。劉邦は国士無双・韓信を擁し、あちこちに伏兵を配し(十面埋伏)、漢軍と楚軍が垓下の戦いで激突、一敗地にまみれる項羽。周囲からは、漢軍の謀略で兵士達が楚の歌を歌い(四面楚歌)、既に故郷が落ちたと早とちりした兵士達の逃亡が相次ぎ、項羽も死を覚悟する。愛馬・烏騅や、愛人・虞姫を思い、漢文の授業でもお馴染みの

力は山を抜き 気は世を蓋う 
時に利あらずして 騅逝かず 
騅逝かざるを いかんすべき
虞や虞や 汝をいかんせん

と謡う。それを受けて虞姫が舞い、虞姫の壮烈な自刃、ここに「覇王別姫」のクライマックスを迎える。

中国の人にとっては古典で当たり前に知られた話なのだろうな〜と思いながら、前日、横山光輝の「項羽と劉邦」で復習してあったのでストーリーも良く分かる。

せっかくだったので、映画の「さらば、わが愛 覇王別姫」を借りてきてみる。戦前、戦中、戦後・文革期を描く大河ドラマも骨太だが、劇中劇、「覇王別姫」を知っているとさらに分かりやすい。映画を先に見ていたら、本当に覇王が七歩歩くのか五歩なのか確認出来たのだが。

虞姫が「た〜いわ〜ん〜」(「大王」だと思うが、こう聞こえる)と高音で謡うシーンが印象的。映画を見ると、実際の京劇はもっと箱が小さくて、覇王が登場しただけで拍手喝采だったりする。京劇は見得を切るシーンから滑らかに次へとつながってしまうので、いまひとつ拍手のタイミングが分からなかったりするが、虞姫の剣舞のシーン等は自然に拍手。まあ、やらなきゃと思ってやるものじゃないと改めて確認した次第。でも、この次に京劇を見るのはいつになることやら。
posted by としゆき at 23:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

ウィキッド

劇団四季の「ウィキッド」を見てきた。映画でおなじみの「オズの魔法使い」に登場する「西の悪い魔女」と「良い魔女グリンダ」。二人の因縁を描いた「誰も知らない、もう一つのオズの物語」だ。

「オズの魔法使い」を簡単に振り返ってみよう…カンザスから竜巻でオズの国に飛ばされたドロシーは、脳のない案山子、心のないブリキの樵、勇気のないライオンと共にオズの魔法使いの元へ向かう。それぞれの欲しいもの(ドロシーは家に帰りたい)をお願いすると、西の悪い魔女を退治すればよい…と言われる。水をかけて魔女を溶かして退治したドロシーたちだが、エメラルド・シティに戻るとオズの魔法使いは実はカンザスからやってきたペテン師だったことが判明した。グリンダから家に帰る方法を教わったドロシーは無事に家族の所に戻るのだった。

で、映画版では名前さえ出てこないこの「西の悪い魔女」は、元々はエルファバという少女であり、グリンダと大学の同級生という設定で物語は始まる。小人の国マンチキン総督の妻は、不倫の末に全身が緑色の女の子(エルファバ)を産む。父に疎まれ、足の悪い妹の世話係として学校の寄宿舎に送られたエルファバは、その見た目の異様さから、周囲に嫌われる。だが、魔法の才能があったエルファバは校長のマダム・モリブルに気に入られ、いつかはオズの魔法使い陛下に会いに行ける日を夢見ている。

グリンダは「オズ〜」からは想像もつかないようなキャラクター。周囲に好かれる「お嬢様キャラ」で、やや能天気。映画「キューティー・ブロンド」の主人公にもちょっと似ているが、実は意外に野心家…という役どころ。いかにも軽薄そうな転校生フィエロに心ひかれる二人だが、エルファバはある意味自ら身を引き、さらにグリンダはフィエロの心が本当はエルファバにあるのを感じ取り、二人でエメラルド・シティに向かう。

オズの魔法使いが本当は魔法など使えず、自分の権力基盤を強化するために言葉を話す動物達を虐げていることを見抜いたエルファバは、オズの魔法使いに協力することを拒否、オズの魔法使いによって「悪い魔女ウィキッド」のレッテルを貼られ、指名手配される。グリンダに「一緒に来て欲しい、二人ならオズの魔法使いも倒せる」と懇願するエルファバ。しかし、グリンダは「体制側」に残ることを選び、二人は違った道を歩んでいくことになる。ポスターにもある、「世界を敵にして、たった一人に愛されるか。たった一人を失って、世界に愛されるか。」…文字通り、「それぞれの選択に、彼女たちは人生を賭けた」のだ。

第一幕のラストシーン、「♪大空高く 舞い上がるの〜」、そして「♪誰にも止められない〜」と高らかに歌い上げられる。CMでもおなじみのこのシーンで、エルファバは文字通り飛び立っていってしまう。このシーンは非常に感動物だった。

後半第二幕、お尋ね者となるエルファバ=ウィキッドと、「良い魔女」として人々を勇気付ける役割を担うグリンダが対象的に描かれる。エルファバをおびき寄せるため、彼女の愛する妹の上に、竜巻に巻き込まれた一軒家が落ちてくる(ここから映画版と同じ時間軸で物語が進んでいく)。ちなみに、映画版の案山子、樵、ライオンはそれぞれの背景も含めてこの物語に登場してくるが、ドロシーだけは泣き声と影絵だけ。エルファバが「あの田舎娘!」と毒づいていたのがおかしかった。

劇団四季を見るのはもうずっと前の「レ・ミゼラブル」以来だが、やはり良く出来た脚本は見ていて面白い。原作の小説も読み始めたところだが、本家アメリカのオリジナル版もいつか是非見てみたい。
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2008年08月03日

道元の冒険

前回の「五右衛門ロック」で書いたとおり、土曜日には五右衛門ロックを鑑賞し、翌日曜日には渋谷Bunkamuraシアターコクーンでの「道元の冒険」を鑑賞。

曹洞宗の開祖・道元の半生をもとに、道元本人と、夢の中で道元と通じる現代の青年(共に阿部寛)とがリンクしていく。10人で計57役を演じ分け、過去現在が絡み合う…という設定には期待したのだが、一言で言ってしまうと消化不良。元々は70年代の井上ひさしの脚本を蜷川幸雄が演出する今作品だが、現代向けに相当書き直されたという。その度合いは過去の舞台を見ていないので良く分からないが、折角の面白い題材を…という感がする。

道元の弟子達が、寺の創立記念日での余興で演じる、劇中劇の形で道元の生涯を追う。道元は最近、眠ると何故か婦女暴行で捕まった現代の青年の夢を見る。青年もまた夢の中で自分が道元になっている。このプロットをもっと深めれば良い作品が出来るはずなのに、ストーリーはもっぱら劇中劇が8割を占める。これでは小学生の学芸会を見ているのに等しい。

最後に、青年は精神病院に入院し、患者には「自称道元」が沢山いる…という夢落ち・狂気落ち。当時問題となっていた公害問題と絡める意向もあるようだが(青年は公害に抗議する座り込み団のリーダーという設定)、その事自体も物語りに上手く絡まっていない。宗教と世俗の関係、正気と狂気、そして過去と現在のパラレルワールド等、面白そうな道具を全て無駄にしてしまっている気がしてならない。

以前見た蜷川演出は非常に素晴らしいものだったから、ひとえにこれは脚本の問題だろうか。初見の井上ひさし脚本だが、正直がっかりしてしまった。たとえば、野田秀樹ならこの設定をどういう作品にしただろうか。宗教と言う意味では彼の「TABOO」が面白く、パラレルワールドと言う意味では、このブログでも以前何度か触れた「パンドラの鐘」が非常に出来が良い。ちなみに「パンドラの鐘」は野田演出以外に蜷川演出版があり、同じ脚本なのに全く違った面白さとなっている。それもこれも脚本の力があってこそであって、(映画でも脚本至上主義の僕としては)今回の脚本だけは落第点をつけざるを得ない。

「五右衛門ロック」同様、歌が頻出する音楽劇なのだが、印象がまるで違っていたのは面白かった。道元・親鸞・日蓮の「同窓生」(彼らは共に比叡山延暦寺で学んだ事がある)が突然「♪都の西北〜」と歌いだしたのは笑えた。もっとも、歌いだすだけでなく歌い切るところが脚本の「くどさ」でもあるのだが。続いて明治、慶応と歌う場面なのだが、明治の歌は最初どこの歌なのか分からなかった(慶応は「♪若き血に〜」)。世間的には有名なのだろうか?
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2008年07月28日

五右衛門ロック

会社の後輩が行けなくなったとかで譲ってくれたので、風邪の病み上がりではあったが、今週末、観劇に行ってきた。

土曜日は劇団☆新感線の「五右衛門ロック」。新感線は初めてだったのだが、ロックに乗せて石川五右衛門を描く…という設定が面白い。秀吉に捕まって釜茹でに処せられた五右衛門(古田新太)。部下達の手引きで見事脱出し、真砂のお竜(松雪泰子)・スペイン商人ペドロ(川平慈英)の口車に乗せられて、はるか南はタタラ島に産出するという「月生石」を盗みに向かう。

タタラ王クガイ(北王路欣也。彼の存在感と重量感が素晴らしい!ややもすると軽妙に流れる舞台をピリッと引き締めていた)に戦いを挑むのはバラバ国。クガイの息子・カルマ王子(森山未來)を前面に立て、月生石を狙う。船が難破してクガイに捕まり月生石鉱山へと放り込まれる五右衛門。そこで彼はかつての情婦インガと再開する。彼女達の助けも借りながら、坑道の掘り進め方からクガイの本当の狙いを知った五右衛門は、彼を追って日本からやってきた岩倉左門字(江口洋介)、クガイに取り入り命拾いしていたお竜と共に、タタラ・バラバ間の戦争に巻き込まれながらクガイの希望を実現させようとする…。

最初、実際にバンドを招き入れたロック調の音響についていけず、やや引いてしまう部分もあったが、役者陣の好演と、ハードロック一点張りでなく様々なバリエーションを奏でる音楽、そして何より良く練られた脚本に、ぐんぐんと引き込まれていく。第一幕ではやや存在感が薄かった五右衛門が、クライマックスに向けてどんどん大活躍し始める。

分かりやすく、子供っぽさを残しながら、それでいて全力でエンタテインメント大活劇が展開される。見ていて思ったのは「ルパン3世」に通じる面白さ。五右衛門はルパンだし、左門字は銭型、お竜は峰不二子(ラストシーンもいかにもそれらしい…)。「カリオストロの城」が面白かった人は、この作品を見ても絶対に面白いに違いない。

終盤、バラバに利用されていた事、そして母の敵と恨んできた父クガイの真の姿を知り、進むべき道に目覚めたカルマ王子。五右衛門を利用し、着かず離れずで生き延びながらも、五右衛門と共に戦うお竜。五右衛門捕縛に命を懸けるも、義と情から立ち上がる左門字、そして何より誰より、悪事を働く連中の、その上前をはねてこその大盗賊とばかりに大奮闘する五右衛門、この4人が輪になって舞台中央で見得を切るシーンは後半の圧巻。見ていて鳥肌が立つほどだった。

始めて行った新宿コマ劇場(もう年内で閉鎖されてしまう)の大人数観客席、お土産グッズまで多数揃えられ、パンフレットも立派な作りで、ある種の「商業主義」を感じつつも、面白ければそんなことは構わない、間違いなく僕が過去に見た作品の中でもトップ5位に入る出来だった。

登場人物がそれぞれの結末を迎えながらも、今回の狂言回したるペドロだけは、最後の最後まで嘯き通して逃げ去っていった。イスパニアの武器商人にして、口八丁でみんなを巻き込んでいく彼だが、怪しげな日本語に混ざっていたのはスペイン語でなく英語だったのは何故?
posted by としゆき at 20:52| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

蒼き狼

渋谷Bunkamura、シアターコクーンで野田秀樹の舞台「キル」を見てきた。昨年見てきた「ロープ」以来、久々の観劇だ。野田秀樹がロンドン留学から帰ってきた1994年に初演、その後97年にも再演されている。個人的には前作「ロープ」が不評だったので、キラーコンテンツである人気作の「キル」を持ってきたのでは…と邪推してしまう(「ロープ」についての観想は(『白いマットのジャングルに」』参照)。例によって以下で内容に触れるので、作品を未見で知りたくない方は要注意。

「着る」は「生きる」…モンゴルの大地、羊の国に生まれたテムジンは、ブランド「蒼き狼」を引っさげてファッション界にその名を轟かせる。世界中に「制服」を着せる、そんな「征服」行の中で、敵に奪われた最愛の妻・シルクを求め、「シルクへの道」を切り開き、長城の向こうに敵将バンリを見出し、見事シルクを救出する。だがそのとき、シルクは既に身ごもっていた…。得意の言葉遊びを織り交ぜながら、壮大な設定で物語は進んでいく。たんなるその場しのぎの洒落もあるが(「濡れ衣を着せるとは洋服屋にあるまじき事」等)、「着る」は「生きる」から始まる言葉の連想の連鎖は、破綻もせずに見事に物語りに織り込まれている。

物語のオープニングは、息子テムジンの誕生を喜ばない父イマダの姿が描かれる。そして後半第2幕は、息子の誕生を喜ばないテムジンの様子から再開する。この辺りは本家ジンギス・カンの物語をなぞっている。羊の国に生まれ、父親の残した「自由の型紙」のその外側、「羊の水」に浮かぶ赤子に向けられるような愛を求めて、「絹の国」へ、そして朝靄の大河を超えて「西の羊(西洋)」の、まだ見ぬ麻の国へと突き進む。「蒼き狼」のニセモノとして現れた「蒼い狼」を倒すため、息子バンリを送り出すも、「流行と言う名の病(流行り病)」にバンリは倒れてしまう。

物語のもう一人の主人公とも言える、テムジン腹心・結髪(けっぱつ)。文字の書けないテムジンとシルクの間で、長城をなすほどの手紙の量を代筆し、さらには行方知れずとなったバンリの安否を探るべく、偽の手紙を送って裏切り者を捜し求める…しかし、そんな彼も身内の裏切り者の凶刃に倒れてしまうのであった。結髪を「蒼い狼」ではないかと疑ったテムジンであったが、その無念も晴らすべくついに自ら出陣してく。テムジンが見たのは、鏡に映したように自分とそっくりな、蒼い狼の姿であり、彼はそこに亡き父の姿を見出すのであった…。

物語の最後、三度子供の誕生のシーンが描かれる。それは、長い夢を見ていたテムジンの誕生の場面であった。彼が今まで生きてきたのは、生まれる前の世界だったのか、はたまた、モンゴルの大地へと還っていく自らの姿だったのか。

今回はテムジン役は妻夫木聡。彼はおそらく、過去のDVDを見たのだろう、セリフ回しや芝居の細かい点に、前回までのテムジン役、堤真一の影響が見て取れた。堤真一好きの僕としては、その意味では不満はないが、彼らしさをもう少し出しても良かったのではないかな、と言う気も。シルク役は過去の羽野晶紀、深津絵里に続いて広末涼子。まあ、こちらは可もなく、不可もなく、かな。個人的には羽野晶紀の演技が、「美しいけれど頭は空っぽ」なファッション・モデルという設定(?)をよく表現していて好きだった。

やはり、「キル」は相当完成度の高い作品だ。最近の「オイル」や「ロープ」と比べても、僕のイメージする「野田秀樹」像に近い。今回は再演だが、今後の彼の新作がどういう方向に進んでいくのか、改めて注目したい。
posted by としゆき at 18:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月20日

白いマットのジャングルに

渋谷のシアターコクーンで、野田秀樹の舞台「ロープ」を鑑賞してきた。昨年末に「贋作・罪と罰」を見て以来の野田作品だ。題名の「ロープ」はプロレスリングを取り囲むロープを表す。八百長嫌いなプロレスラー、ヘラクレス・ノブナガ役を藤原竜也、そして物語中、いわば狂言回しの役割を担うタマシイ役を宮沢りえが演じる。

八百長で負けるはずの試合に全力で勝ってしまい、相手選手に重症を負わせるノブナガ。ロープの中では何もかもが許される、それがたとえ八百長であったとしても。誰もがそれを「仕組まれた舞台」と知りながらも、抜け出る事が出来ない。さらには、「顔の見えない」覆面レスラー相手であれば、どんなに残酷な仕打ちをしても良心の呵責を感じない…。

途中から明らかに、リングは戦場の、プロレスは戦争の、覆面選手はテロリストの、それぞれメタファーとなっていく。裏側からマッチメークの指示を出すのは、「ユダヤ人の社長」。筋書きのある八百長芝居の中で、次第に狂気の様相を呈するノブナガと同僚カメレオン。いつしか彼らはベトナムの農村で銃を乱射する存在へと移り変わっていく。

以前の「オイル」でも描かれた、野田秀樹の反戦思想が色濃く滲んだ作品だった。ただし、ある種の勢いで書ききった脚本なのだろう、用いられるセリフや描写が荒削りで直接的であり、過去の作品の様に、軽やかな言葉遣いで見ている者を煙に巻く、そんな諧謔精神は全く失われてしまっていた。ベトナムでの悲惨な光景を「実況中継」し続けるタマシイこと宮沢りえの叫びは、聞いていて不快になるほど生々しいものだった。

なるほど、あえてそれを狙った部分もあるだろう。メディアを経由して「消費される戦争」に対して、異を唱えたかったのかもしれない(同じ構図で暴力を煽るメディア側に着目した作品の構想もあるらしい)。しかし、この作品だったら、あえて野田秀樹である必要はないのでは?と僕は思ってしまう。経年による作風の変化はあるにせよ、その余りに「不用意」な終盤の言葉の羅列は、表現者としての彼の限界をも感じさせてしまう、それは穿ち過ぎた見方だろうか?パンフレットの前書きさえも、ユーモアのかけらもないものだった。

そうまでしてでも、表現したかったことなのかもしれない。しかし、同様のテーマ性を持った作品の中でも、「パンドラの鐘」のような名作を見てきただけに、今作「ロープ」の「未熟度」がいかにも残念ではあった。まるである種のアジ演説を聞かされているような。

藤原竜也の演技はさすがにすばらしく、宮沢りえも思った以上に舞台の上で映えていた。また、宇梶剛士の演技も絶妙で、俳優陣の好演が非常に良かっただけに、残念だ。
posted by としゆき at 23:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月30日

ひとごろし、いろいろ。

渋谷のシアターコクーンで「あわれ彼女は娼婦」を見てきた。楽日ということもあってか、立ち見も出る盛況であった。多くの観客(圧倒的に女性)のお目当てと思われるのは、主人公ジョバンニを演じる三上博史か。その妹、アナベラ役に深津絵里、その結婚相手ソランゾ役は谷原章介。ジョバンニとアナベラの禁じられた愛は、ソランゾを含む多くの人を巻き込んでいきながら、ラストの「惨劇」へと一直線に進んでいく。そして枢機卿の「あわれ、彼女は娼婦」というセリフで幕を閉じる。蜷川幸雄の骨太な演出、特に三上博史の長い台詞回しをこなしての演技で、なかなか見させる内容だった。深津絵里は、相変わらずよく通る声で力強いヒロインを演じたが、ラストシーン前に姿を消してしまったのが残念ではあった。

原作はシェークスピアのやや後の時代に生きたジョン・フォード(もちろん、「駅馬車」等で知られる映画監督とは別人)。この作品は、シェークスピアの「ロミオとジュリエト」と対比させるのが定番らしいが、原作者については実は全く知らなかった。最初この作品を知ったときも、翻訳が小田島雄志ということで、何故?と不思議に思ったくらいだ。

小田島雄志は英文学者だが、特に坪内逍遥以来のシェークスピア全戯曲翻訳で知られる。シェークスピアはその作品中の巧みな言葉遊びでも有名だが、それも含めて日本語化したのがすばらしい。野田秀樹も「から騒ぎ」等、シェークスピアを翻案した作品をいくつか書いていたが、彼もまた言葉遊びをうまく取り込んでおり、小田島翻訳と野田戯曲を読み比べたりしていた。

僕はまた、小田島雄志はというと、かつてTBSのテレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にゲスト出演していたときの名解答を思い出してしまう。世界各国の様々なものの値段を当てるこのクイズ番組で、モノと値段は忘れてしまったのだが、6個分の値段に1個はオマケで5(通貨単位)と答えて、見事ホールインワン賞(=正解)。以後この「1個オマケ」は「小田島方式」と命名され、そのまま個数=値段とする「(片岡)鶴太郎方式」と並び、番組中でよく用いられていた。僕にとっては英文学の教授というよりも、1個オマケのオジサンであった。

マンガ「東京大学物語」では和田島隆志ともじった名前が出てきたこともある。今日の舞台はなかなか面白かったので、久々に小田島翻訳のシェークスピア作品でも読んでみようかと思った。あ、もちろん、ジョン・フォード作品も。

posted by としゆき at 18:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

贋作・罪と罰

週末に、野田秀樹の舞台『贋作・罪と罰』を見てきた。実際に劇場で彼の芝居を初めて見たのが1995年の同名作品で今回はその再演となる。原作はもちろんドストエフスキーの小説だが、この作品は舞台を幕末の日本に置き換え、理想と思想と時代の変化の激しさに翻弄される主人公を描いている。
野田作品といえば異なる時代、異なる状況が複雑に絡み合いながら、収束していく、そのダイナミズムに特徴がある。この作品は、時間的というよりは、空間的階層性を前面に押し出している。通常はステージと観客席が対面形式となっているが、今回は中央に方形のステージを設け、前後から観客席にはさまれるデザインとなっていた。様々な思惑や事件が、街のそこかしこで発火していた、そんな幕末の雰囲気をうまく表現している(ちなみに95年の上演では、階段を用いて文字通り複層的な舞台装置となっていた)。

作品の細かな内容は実際に見てもらいたいが(来年3月には、他のいくつかの作品とともにWOWOWで放映が予定されている)、野田舞台の中でも個人的に大変気に入っている作品なので、非常に楽しめた。彼のイギリス留学後の作品でオススメなのは、「キル」、「贋作・罪と罰」、そして「パンドラの鐘」だろう。野田秀樹の特徴でもある言葉遊びと躍動感あふれる演出がある種の高みに達している。久々の観劇で充実した週末だった。
posted by としゆき at 16:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする