2014年03月24日

アナと雪の女王

連休でディズニーの映画「アナと雪の女王」を見てきた。最近はディズニーのアニメ作品も見てなかったのだが、主題歌の"Let It Go"がとてもいい曲でとても気に入ったので、前日にはYouTubeで繰り返し繰り返し聞いていた。前評判は非常に良いらしいし、せっかくのお休みだし映画館に見に行こうかとお昼頃に思い立って検索してみると、3時頃の回はどの映画館もほぼ満席、子供連れも多いだろうからなぁと思って、仕方なく6時15分の回で申し込む。行ってみたらこちらもほぼ満席になっていて、早めに抑えておいてよかった。

雪や氷を自在に作り出す魔法の力を持つエルサだが、子供の頃にその能力のせいで妹のアナを危険な目にあわせてしまい、お城の中の一室に引きこもってしまうようになる。大の仲良しの姉と遊べなくなってしまったアナの歌う"Do You Want To Build A Snowman?"が切なくて悲しくなる。

自らの力を制御しきれなくなったエルサは城を飛び出し、雪山の中を一人寂しく歩いていく。その時に歌われるのが"Let It Go"。最愛の妹からも隔離され、両親を事故で亡くし、力を隠して生きてこなければならなかった自分だが、これからはもう、ありのままの自分でいいのだ…と吹っ切れて力強く歌い上げる。YouTubeで聞いてた時は単にいい曲だなー(ちなみにこのときの映像も素晴らしい)と思ってただけなのだが、物語の初めに、それだけの重い背景を背負ってこの場面に至ると、思わず感極まって泣き出しそうになってしまった。

Let It Go



ちなみに、日本語吹き替え版では松たか子がエルサの声を担当している。日本語版「ありのままに」も良く出来ていて、比べて聞いてみると訳詩をがんばってるなーと実感できておもしろい。

ありのままに



"Let It Go"はWikipediaでの記事によると43ヶ国語で歌われているらしい。そのうちの25ヶ国語で順番に歌っていく映像も公開されていて、最初のサビの部分(英語版で♪"Let It Go〜"と歌うところ)は日本語版の松たか子。各国の視聴者からも日本語パートの評価が高かったという話を聞いて嬉しくも思うし、ちょうどサビに当たったのもラッキーかな?と思うが、
他のサビの部分を歌う人たちがどうも野太い(?)声だったりで、松たか子の透明感あふれる声質は聴き比べていても素晴らしいと思うのはひいき目かな?

Let It Go25ヶ国語バージョン



ストーリー自体はシンプルだし、細かな部分で物足りない(映画後半でミュージカル要素が減ってしまったり)なんて言う声もあるようだが、エンタテインメントとしては大満足の作品。映画館の3D映像と音響で楽しみたい作品で、見に行って大正解だった。

ところで作品中の登場人物クリストフが、「男なんてみんな鼻をほじったり食べたりしてるんだぞ」というセリフが出てきたりするのだが、最後のエンドロールの中で次のようなディスクレイマーが(当然全文記憶できなかったので、ネットで一生懸命探したらこちらで書いててくれる人がいたので引用)

"The views and opinions expressed by Kristoff in the film that all men eat their own boogers are solely his own and do not necessarily reflect the views or opinions of the Walt Disney company or the filmmakers. Neither the Walt Disney company nor the filmmakers make any representation of any such vies and opinions."

以前に『ハリポタと動物愛護』で書いた"No Dragons were harmed in the making of this movie"を思い出して思わずくすりとしてしまった。

ついでにもう一つ、この作品の原題はシンプルに"Frozen"。邦題の「アナと雪の女王」はいい題名だけれど、ちょっとひねりすぎかなーという気も。最近のディズニー作品では、「塔の上のラプンツェル」も原題"Tangled"だし、原題とかけ離れた邦題を嫌う人間としては、何かいい方法はないかなーと思う(まあ、これらは原題がシンプル過ぎるというべきか)。
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2012年09月18日

ダークナイトライジング

少し前の話になるが、映画『ダークナイト ライジング』を見てきた。『バットマン ビギンズ』、『ダークナイト』に続く3部作の最終編。僕個人はバットマンというと、どうしても子供のころやっていたいかにもアメリカという感じのアニメや、ジョージ・クルーニーの黒歴史とも言える『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』のイメージが強いのだが、この最近の3部作は重々しいストーリー・演出のシリアス調。『Mr.〜』以前の映画もダーク路線だったようだが、あんまり記憶に残っていないので、『〜ビギンズ』を見た時は、良い意味で期待を裏切られて面白かった。『ダークナイト』も、題名から「バットマン」が消えた事もあって、公開当初アメリカで大ヒットしているというニュースを見ても、始めはバットマン作品だと知らなかった。余談だが、この題名は"The Dark Night"だとずっと思いこんでいて、実際に映画を見るまで"The Dark Knight"(=バットマン自身の事)だという事に気付かなかった。

さて『ダークナイト ライジング』。原題は"The Dark Knight Rises"で、勝手に現在進行形にされた邦題にはいつものごとく不満なのだが、変な意訳をつけられるよりはいいか。映画は核ジャックされたゴッサムシティが舞台となり、刑務所から解放された暴徒が占拠する無政府状態の街は、まるで『マッドマックス』か『北斗の拳』かと言う雰囲気。前作で心身ともにダメージを受け、さらに今回の敵、ベインに一度は敗れ去るバットマンが、文字通り"Rise"してくるまでのストーリーは、165分の長丁場を感じさせない(実際、金曜日の仕事後に見に行ったのに、上映中一度も時計を確認する事もなく、最後まで興奮状態で見入ってしまった)。

キャットウーマン役で登場のアン・ハサウェイがかっこいい。マリオン・コティヤール演じるミランダとバットマンが良い雰囲気になって、ちょっと哀愁を漂わせるのだが、バットマンからの依頼を断り切れず、取って返すシーンの顔の表情がいい。ハッピーエンドを予感させるラストも素敵。

敵役との一対一の戦いだけを取れば、前作でのジョーカーとの戦いの方が「狂気」を感じさせて戦慄度合いは高い。単品の作品としても前作の方が好きかな。それでも三部作完結編として見どころはいっぱいだし、いかにも「面白い映画」という感じ(この作品を見に行った時、『アベンジャーズ』の予告編で「これが映画だ」って言うのが流れていたが、はてさて…)。

時間がなくて映画前に前2作品を復習出来なかったので、この作品のDVDでも出たら総復習をしてみたい。
posted by としゆき at 22:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

沈まぬ太陽

今更ながら映画「沈まぬ太陽」を見た。お正月にケーブルテレビで放映していたのを録画してあったのだが、いかんせん約3時間半と長い映画なので今まで見られずにいたのだ。しかし、あの御巣鷹山の日航機墜落事故は1985年8月12日。ニュース番組でこの事故が取り上げられていた事もあったので、やっと見てみる事に。途中10分間のインターミッションを挟んで前後半に別れているから、2日間に分けて観賞。

労働組合委員長として経営陣と敵対し、首相フライトにストをぶつける強硬手段からパキスタン、イラン、そしてケニアへと左遷される主人公、恩地元(はじめ)。母親の死に目にもあえず、組合活動の事から娘の縁談すら破談になりかける。それでも信念を曲げず、会社を辞める事も(会社に求められるように)転向する事もなく、ひたすら耐え忍ぶ生活が続く。一方、組合では仲間であったはずの行天四郎は、経営側へと寝がえり、出世街道を驀進していく。会社のため(そしてひいては自らの出世のため)には、金や女を駆使する汚い手段も厭わない行天のヒールっぷりが、恩地の頑固一徹ぶりと鮮やかに対比される。

海外僻地勤務を経て、日本に戻ったところに国民航空(≒日航)123便の事故が発生。遺族の世話係として奔走する恩地、そして航空利権を巡る永田町の思惑から送りこまれた新会長・国見の下、会長室所属となった恩地は長期為替予約やホテル買収での不明朗会計を追求していく。ところが、永田町の政治力学から、首相の利根川から三顧の礼を持って迎えられたはずの国見も梯子を外され、経営改革も道半ば、関西で遺族担当に復帰するはずだった恩地も行天の策略で再度ケニアに飛ばされる。それでもアフリカの大地で大自然と向き合う恩地、一方行天のところには、東京地検特捜部がやって来るのだった。

ちなみに最後にほんの少ししか登場しないが、地検検事役の上川隆也が良い味を出してる。「沈まぬ太陽」と同じく山崎豊子原作のNHKドラマ「大地の子」でもいい味出してたな〜等と思い出す。他にも、恩地の妻りつ子役の鈴木京香とか、遺族役の宇津井健とか、いい役者が沢山出てて贅沢な配役。

原作は読んだことがないのだが、映画版は前半の重厚さに較べると、後半はやや散漫となった印象が否めない。恩地、行天が絡んで行く人間ドラマ色が強かった前半に対して、後半は国民航空を取り巻く複雑な環境(特に永田町からの視点)が、短い時間ではきちんと描写し切れなかった感も。

映画後半、放漫経営の象徴として出てきた長期為替予約とホテル買収も、後者はともかく、前者に至っては「なんとなく悪い事をしているらしい」と言った印象だけでストーリーが進む。長期為替予約は、文字通り長期間の外国為替変動リスクをヘッジする手段であり、その後の相場が逆方向に動いたからと言って責められる筋合いのものでは全くない。ヘッジ取引でうまく行った場合は何も言わず、損を出した場合(ヘッジなのだから、損も得も本来ないのだが)だけ大騒ぎするという、日本人の(あるいは原作者の?)金融音痴ぶりが感じられて、ここは少し興ざめ。

「沈まぬ太陽」の原作連載時や、映画化の企画に対しては、日航が猛抗議したものの、日航本体の経営が傾く中で映画化された。巨悪・日航の影響力が低下した中での快挙…と見る向きも多いかもしれないが、果たして本当に山崎視点、恩地(あるいはそのモデルと言われる小倉寛太郎)中心主義が「正しい」物なのかどうかは議論が分かれるようだ。それを判断するだけの材料は僕は持ち合わせていないが、こんな文章も世の中にはある。

『小説「沈まぬ太陽」余話(III)』

この話の真偽はともかく、労働組合とかストとかにアレルギーのある僕には、余りにも主人公をヒーロー視し過ぎているとは思う。親方の日の丸の経営陣にも問題があったかもしれないが、御巣鷹山の事故があっても、結局自分勝手好き勝手に非生産的な組合活動を続け、結局は会社を破綻させた責任の一端は労働者側にもあるだろう。行天によるマスコミや役人の懐柔工作が余りにも古臭くて「昭和」を感じさせるものだったのは滑稽だが、40年ほど前にはこんな暴力的な輩が跳梁跋扈していたのかと思うと、本当に隔世の感がある。

ところで、日航123便の事故の話をすると、いつも思い出すのは、極限状況下でも必死に機体をコントロールし続けた機長たちの、生々しいやりとりが残されたボイスレコーダー。

JAL123便フラッシュ

子供のころ、夜に流れた事故のニュースもそうだが、夏休みお昼の恒例、「笑っていいとも!」を見ていたら生存者発見の一報が入り、その日の午後ずっと御巣鷹山からの生中継を見ていた事を思い出す。あれから27年。すでに事故当時には生まれていなかった後輩たちも入社してきているが、今後はこのような航空事故の起きない事を願う。

posted by としゆき at 23:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

マネーボール

映画「マネー・ボール」を見てきた。原作は「ライアーズ・ポーカー」でデビューし、最近では「世紀の空売り」も面白かったマイケル・ルイス。貧乏球団オークランド・アスレチックスが、ニューヨーク・ヤンキースをはじめとする金満球団に互角以上に戦えている裏側を描いたノンフィクション。セイバーメトリックスと呼ばれる定量的・統計的な試合分析に基づいた選手起用を目指し、単なる打率やエラー数といった伝統的な指標よりも、出塁率や長打率を重視する。その背景には、野球を27個のアウトを取られるまでは終わらない競技と定義し、勝利に直結する(と思われる)得点を挙げるためにはどうすればよいのか(どういう指標と得点の相関が高いのか)を考察する。盗塁や犠打はアウトになる確率が高く、得点「期待値」を高めないので評価しない。セーブ数なんてのは人為的に嵩上げ出来る。だから「平均よりちょっと上の実力を持つ投手にクローザーをまかせ、セーブポイントをたっぷり稼がせて、高く売り払う事だってできる」。

そうした新しい価値観に気づかず、不当に評価されたりされなかったりする選手の年棒間の歪みをついて、「不公平なゲームに勝つ技術」(原作の副題、"The Art of Winning An Unfair Game")を追求するアスレチックスのGM、ビリー・ビーンを描いた作品だ。マイケル・ルイスの本は好きだし、2004年に日本語版を見た時、あまりのおもしろさに周囲の人にすすめまくっていたので、映画化を楽しみにしていた。

映画ではブラッド・ピットがビリーを演じ、プロデューサーとしても名を連ねる。見終わってのとりあえずの感想は?うーん、原作の方が面白いかなぁ。原作ではほとんど(2か所くらいしか)言及されなかった娘が映画では重要な役どころだし、原作では非常に盛り上がるドラフト会議の場面が出てこない(選手選考会議は出てくるが)。なぜセイバーメトリックスが有効なのかを詳細に論じている原作に比べると、映画版ではアスレチックスの強さの秘密が今一つ分かりにくいのではないだろうか。

僕なんかが読んでいて一番盛り上がるのは、原作の第6 章、「不公平に打ち克つ科学」。セーイバーメトリックスのデータ分析を、オプショントレーダーに喩えたりしている。マイケル・ルイス自身が元ソロモン・ブラザーズの営業出身だが、金融業界に足を置いている人間にはもっとも興味深い部分だろう(余談だが、「セイバー」と聞いてSABR=Stochastic Alpha-Beta-Rhoを想像してしまう僕は、金融業界でも相当狭い分野の人間かもしれないが)。

さて、物語の中心は、ビリーが本格的にセイバー・メトリクスを駆使してチームを作り、ドラフトで選手を起用し、トレードで「割安な」選手を補強して臨んだ2002年シーズン。ビリーの意向を無視して選手起用を続けるアート・ハウ監督に対抗するため、彼お気に入りの選手をトレードで放出したりする。そしてぐんぐん順位をあげ、ついには球団史上初の20連勝を達成する。映画ではこの過程がドラマチックに描かれているが、原作では第11章のエピソードで、ほんの一部分。あくまで統計的に勝利数を積み上げる戦略を踏襲するビリーの台詞がふるっている。曰く「しょせん、ただの1勝さ」。

この20連勝自体は事実であり、11対0から11対11に追いつかれて、最後にまた突き放すというマンガみたいな展開も現実通り。試合を決めたのも、原作・映画でも重要なキャラクターとなる「割安」選手の代表格、スコット・ハッテバーグ(肘の神経断裂で捕手が出来なくなったところ、ずば抜けた出塁率をビリーに見込まれてトレードされてきた)のホームランと言うのも出来すぎ。そして、21試合目は0対6と大差で破れているのもご愛嬌。

原作ではハーバードを卒業してビリーの片腕となるポール・デポデスタだが、映画脚本での自分の描き方が気に食わなかったとかで、映画版では架空の人物、ピーター・ブランドとして描かれている。彼がオーナーと電話しながら選手の年棒をリクエストし、要求が通った時のガッツポーズがかわいらしい。

映画の興行的な成績はどうなるのか良くわからないが、原作はぜひ読んでほしい。

マネー・ボール
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2011年03月27日

週末のBunkamura

11日の地震の後も被災地は厳しい状況であり、余震もまだ続いている。福島第1原発も予断を許さぬ状況であり、停電や物不足等、実生活上の問題に加えて、精神的にもストレスが絶えない。そんな中でも、マーケットは徐々に落ち着きを取り戻し、先週末の3連休は引きこもり状態だった僕も、この週末は久々に外に出てみた。

まず、渋谷Bunkamuraル・シネマで上映中の「英国王のスピーチ」(原題"The King's Speech")鑑賞。アカデミー作品・監督・脚本・主演男優賞を受賞したが、最初はこの映画の事を知らなくて、会社の人のおススメと言う事で見てみる気になったのだった。

現エリザベス女王2世の父であり、「王冠を賭けた恋」で知られるエドワード8世(シンプソン夫人と結婚するために退位)の弟であるジョージ6世。吃音で虚弱でもあり、内気であった王だが、第2次大戦開戦に際しての国民向けの演説を求められ、言語聴覚士であり友人ともなるライオネル・ローグのサポートでこの一大イベントに立ち向かっていく…。

コリン・ファース演じるジョージ6世、ジェフリー・ラッシュ演じるライオネル、そしてヘレナ・ボナム=カータ(彼女の演技がとってもいい!)演じる王妃エリザベス。3人の愛情と友情に溢れ亜この作品には、「悪役」は登場しない(憎まれ役としての大司教や、シンプソン夫人はいるが…)。派手なシーンはないが、いかにも英国風な雰囲気の中で進む物語は最後まで心温かく見ていられる。最後のスピーチを終えた後の、長女エリザベス(現女王)によるおませな「批評」にも注目。ライオネルも一点だけ「駄目出し」をして、ジョージ6世がウィットで返すが、映画パンフレットによると、このやり取りは実際に二人の間で交わされたものらしい。

「ソーシャル・ネットワーク」(『ソーシャル・ネットワーク』参照)とアカデミー賞を争ったが、両作品を見てみて、甲乙付けがたいものの、「英国王のスピーチ」が栄冠を勝ち取ったのは納得かな。

映画に続いて同じくBunkamura、ザ・ミュージアムでの「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」に足を運んだ。以前、『フランクフルト』で書いたように、昨年フランクフルト訪問時には改装工事中であったシュテーデル美術館から、フェルメールの「地理学者」が来日。

地理学者

フェルメール』で書いた「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」でもそうだが、寡作なフェルメールはどうしても、他の作品と「抱き合わせ」になるのは仕方がない。ましてシュテーデル美術館所蔵のフェルメールは「地理学者」一点だし。今回の展示でも、フェルメール1点+「オランダ・フランドル絵画」94点。それでも同時代の絵画を見比べてみるとなかなか味わいがあって良い。経済発展と共に、裕福となった市民階級のために貴族風な(たとえば乗馬姿だったり)の肖像画が好まれていただとか、飲酒喫煙等の生活の乱れが多く描かれているだとか、解説を読んでいても楽しい。

また、工房の形で絵画が「生産」されていたこともあり、作者名を見ていても「ヤン・ブリューゲル(父)の工房」、「ウィレム・ファン・ド・フェルディナンド(子)(工房共作)」等と言うものもある。他にも、「フェルディナンド・ファン・ケッセルに帰属」、「アドリアーン・ファン・スタルベント(?)」、」「トーマス・ド・ケイザーの様式」、「ヤン・ブリューゲル(子)の追随者」、「ヒリス・ファン・コーニンクスロー周辺の画家」なんてのもあって面白い。しかし「追随者」って…。

Bunkamuraは7月から12月まで改装休館だそうだが、12月23日からは「フェルメールからのラブレター展」が開催予定。「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く女」、「手紙を書く女と召使い」の3点が来日(「〜召使い」は上記「フェルメール展」でも見られた)。フェルメール全点制覇への道は続くのだった。
posted by としゆき at 16:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

ウォール・ストリート

映画「ウォール・ストリート」を見てきた。いわずと知れたオリバー・ストーン監督の映画で、1987年公開(舞台は1985年)の「ウォール街」の続編に当たる。映画にあわせて、旧「ウォール街」もレンタルで復習。随分と久々に見たけれど、なかなかに面白かった。

新旧どちらも原題は"Wall Street"(ただし2011年版は副題として"Money Never Sleeps"が付く。このセリフ自体は旧作にも登場)。個人的にはカタカナ邦題じゃなくて、再度「ウォール街」でも良かった気がする。副題の訳は難しいけれど…。「現ナマは眠らない」だと、ちょっと古いセンスだし、デリバティブやITっで武装した現代金融における「マネー」の概念とはちょっと違うか。旧「ウォール街」でも、「コンピュータ化がどんどん進んでいくのに付いていけない」と言った不満の台詞が出てきたが、そんなコンピュータ世代の新人類として描かれたバド・フォックス(チャーリー・シーン)が、自宅で使っているPCは、今から見ればおもちゃみたいな代物だった。今回、ニューヨークの夜景の中を株価や為替のティッカーがどんどん流れていく映像があったが、高度情報化産業と化したグローバル市場のイメージを描いていて悪くない。

おもちゃみたい、と言えば、旧作中、海辺のリゾート地からバドに取引の指示を出す、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーは、30〜40センチはあろうかと言う携帯電話で会話していた。新作のオープニングではインサイダー取引の罪で収監されていたゴードンの出所シーンから始まるが、私物が返還されるときに出てきたのはこの「巨大」な携帯電話だった。この辺りは時間の経過・時代の変化を端的に示すと共に、旧作と続けて見た人には楽しいおまけ。

その旧作ではゴードンの息子が出てくるが、新作では彼は亡くなっており、収監中でその死に立ち会えなかったゴードンを娘のウィニー(キャリー・マリガン)は嫌悪している。そのウィニーの恋人であるジェイコブ(シャイア・ラブーフ)は投資銀行KZIに勤めるが、粉飾決算の噂を機にKZIは倒産、ジェイコブの師で恩人でもあるルーは自殺してしまう。おそらくこの会社のモデルは、2008年9月15日に破綻したリーマン・ブラザーズ。六本木ヒルズのTOHOシネマズで映画を見ていたので、感慨深いものもあった(日本のリーマンは六本木ヒルズ内にオフィスがあった)。

その後、KZI倒産の裏側にチャーチル・シュワルツのブレトン・ジェームズが噛んでいる事をつかみ、ジェイコブは彼に一泡吹かせる計画を立てるが、その程度のダメージは大した事はなく、逆にその才能を変われブレトンにスカウトされる。

一線を退いたと思わせながら、娘とその恋人をも欺き、怪しく華麗に復活を遂げるゲッコー。ブレトンと決別し再度打倒へと向かうジェイコブ。父親に対する愛蔵半ばする感情をもてあますウィニー。3人の思惑が絡み合いながら物語は進んでいく。

KZI破綻後も、さらなる金融危機の泥沼の中でブレトンが失脚、ゲッコーは元手を11倍にする。おそらくブレトンに投影されているのはゴールドマン・サックス(ちなみにオフィスは六本木ヒルズ)。ゲッコーの大稼ぎのエピソードは、サブプライムで名を上げたジョン・ポールソン(『史上最大のボロ儲け』に良く描かれている。ちなみにこの本、原題は"The Greatest Trade Ever"。この邦題、ちょっと品位が…)だろう。AIG関係のエピソードはないのかな?と思ったが、映画パンフレットによるとオリバー・ストーン監督はカットしたらしい。

金融マンには、ああ、これはあの事か、これはあの人か、と言った楽しみ方も出来るが、全般的に詰め込み過ぎな感があり、映画(エンタテインメント)としての面白さはもう少しかな?という気もする。業界関係者じゃない人の感想をいろいろと聞いてみたい。

それから、CDS(=Credit Default Swap)関係の字幕が混乱気味で、意味の通らない部分があった(ように見えた、字幕なので記録が残っていないのだけれど)。映画の最後に見てみると、字幕は悪名高き戸田奈津子。これから見に行く人は注意して見てみて下さい。
posted by としゆき at 20:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

ソーシャル・ネットワーク

映画『ソーシャル・ネットワーク』を見てきた。最初は映画内容についてよく知らず、最近注目のフェースブック(創業者のマーク・ザッカーバーグは2010年末にタイム誌恒例の"Person of the Year"に選ばれている)のちょうちん映画かと思っていたのだが、「めざましテレビ」で取り上げられ、ザッカーバーグの「陰」の部分も描いた作品だと知って興味を持った。日本だと、たとえば「沈まぬ太陽」の映画化にあれだけ時間がかかったのに、この辺りはさすがアメリカと言うべきか。

スタッフ的には、監督のデヴィッド・フィンチャーよりも脚本のアーロン・ソーキンが目を引いた。僕の好きだったドラマ「ザ・ホワイトハウス」(原題"The West Wing")の脚本を第4シーズンまで担当し、降板と共に視聴率も低下したとかしないとか。ちなみにマイケル・ルイスの「マネー・ボール」映画化でも脚本担当。「ザ・ホワイトハウス」でもお馴染みの、膨大なセリフを機関銃の様に発する脚本はこの映画でも生かされ、めざましテレビや映画のパンフでも、場合によっては200テイクも繰り返して撮影されたエピソードを紹介している。それは映画のオープニングでいきなり発揮される。ザッカーバーグが恋人エリカと交わす超早口のやり取りで、ちょっと寝不足気味だった僕も一気に映画に引き込まれる。ザッカーバーグ本人も超早口な様だが、字幕の回転速度も速い、速い。

物語は、エリカに降られて酔ったザッカーバーグが、ハーバード大学の各寮ウェッブをクラックし、女子学生の顔写真でミスコンを行うサイトを一気に作成、2時間で2万2千アクセスを受けるところから始まる。理事会と女子学生を敵に回しながらも、そのプログラミング能力を見込まれ、キャメロンとタイラーのウィンクルボス兄弟からハーバード大学生専用のSNSサイト「ハーバード・コネクション」開発スタッフにスカウトされる。裕福な家庭に生まれ、ボート部員として活躍(二人は後に北京五輪で6位入賞)、大学のエリート団体メンバーでもある二人に反発したのか、ザッカーバーグは唯一の友人とも言えるエドゥアルド・サベリンをCFOにフェースブックを作り始める。後にあのナップスターを創業したショーン・パーカーと知り合い、ベンチャービジネスの夢を熱く語るショーンに魅せられる。ザッカーバーグは意図してかせずか、ショーンが見つけてきた資金源のヘッジファンドともに、堅実なビジネスを目指すエドゥアルド追放へと繋がっていくのだった…。

物語後半はウィンクルボス兄弟、そしてエドゥアルドからの2件の訴訟を受け、弁護士を交えた3者の話し合いの場面に、過去のエピソードがフラッシュバックする構成で進んでいく。パンフで監督が語るように、誰かを善・悪の単純な視点で描く事はされていない。どういうラストシーンにするんだろうと思っていたが、この映画の静かなエンディングはなかなかの名場面。

ところでこの映画の最初の方でスタッフ名が流れるところで気付いたが、製作総指揮はケヴィン・スペイシー。あの「ラスベガスをぶっつぶせ」(「ラスベガスをぶっつぶせ」参照)でもそうだったが、調べてみるとこの映画の原作も「ラスベガス〜」と同じくベン・メズリック。彼による『世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』執筆前に書かれた企画書が映画原作と言う事で、書籍版は厳密な意味での原作ではないが、彼の作品は基本的に面白いので先程早速amazonで注文。今日中に届くはずなので、眠れるのは何時になるやら…。
posted by としゆき at 18:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

死の秘宝 PART 1

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』を見てきた。例によってネタバレ注意。

映画館に行く前に、シリーズ第5作『不死鳥の騎士団』と第6作『謎のプリンス』をDVDで復習しておく。ところで以前も書いたが僕はシリーズ中で第4作の『炎のゴブレット』が一番のお気に入りなのだが、どうも世間的には不評らしい。前半のファンタジー色から後半の重厚な物語へと繋がっていく折り返し地点であり、華やかな三大魔法学校の戦いから、セドリックの死、ヴォルデモートの完全復活へと一気に描ききった秀作だと思うのだけれど…。

それはさておき『死の秘宝』。原作最終の第7巻の映画化であり、PART1/2に別れた。公開直前、3D版を断念と言う報道が流れ、断念も何も3D撮影してたのか?と思ったが、最近は普通に撮影した映画でもデジタル処理で3D化する事が多いという。当然、かける時間とコストで出来が左右され、その辺りがPart1の3D化を諦めた理由か。

パンフレットを買うと、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人が妙に小汚い、と言うか、無精髭が生えていたり土埃に汚れていたりする。それもそのはず、前作でダンブルドア校長が亡くなった後、ヴォルデモートの魂を分離・保存すると言う分霊箱を発見し、破壊する旅に出る事になる。

オープニングではホグワーツの主の様に居座るヴォルデモートと、彼の配下の死喰い人たち。スネイプ先生が空を飛び、学校にやってくるシーンは敵(?)ながらかっこいい。ドラコの父、ルシウス・マルフォイはヴォルデモートから嫌味を言われたりして、すっかり立場がない(それに取って代わったのがベラトリックス)。ルシウスは杖を折られたりして、今作では魔法を操る杖が一つの鍵であることを示唆して始まる。

ロンの兄、ビル・ウィーズリーと、三大魔法学校対抗戦でボーバトンの代表だったフラー・デラクールが結婚する事になり、その結婚式が行われる。ハリーたちもロンの家に移動するが、その移動自体が危険な状況となっており、僕も好きなマッドアイ・ムーディーが移動中に命を落とす。移動中もおどろおどろしい黒雲が立ちこめ、映画全般に暗い雰囲気となっている(これは『不死鳥の騎士団』以降、ずっとそうなのだが)。

その結婚式会場ですら襲撃され、ハリーたちは前述の通り旅に出る。魔法使いが次々と行方不明となり、ロンが持ち運ぶラジオからは毎日行方不明者の名前が読み上げられる。ルーナ・ラブグッドの父を訪れ、「三人兄弟の物語」を聞かされるが、そこに登場するのは3種類の「死の秘宝」である、ニワトコの杖、蘇りの石、そして透明マントだ。透明マントはハリーが持っているが、蘇りの石はまだ出てきていない。そしてニワトコの杖はダンブルドアが持っており、物終盤でダンブルドアの墓を暴いたヴォルデモートの手に渡る事になる。最初、「死の秘宝」とは分霊箱の事かと思っていたのだが、全く新しい要素だった。映画はあと1作しかないのに、ここまで張った伏線をどうやって回収していくのだろうか?

3人は『謎のプリンス』で偽物とすりかえられていたロケットを魔法省から奪い取る事に成功(前作に登場した"RAB"と言う謎の署名は、本物を隠したシリウス・ブラックの弟、レギュラス・アークタルス・ブラックの事だった)。ところが、そのロケットも破壊方法が見つからないまま、分霊箱を探す旅の過酷さと、ヴォルデモートへの恐怖、家族を失う不安からロンは感情を爆発させ、ハリー達と別れてしまう。

ハリーとハーマイオニーは旅を続け、ハリーの生まれ故郷で両親の墓を訪れたりする。そしてグリフィンドールの剣でロケットを破壊しようとしたハリーは、雪の降る寒空の中、氷の張った湖の底に沈む剣を取ろうとして危うく溺れかける。そこに現れ、ハリーを救い、見事ロケットを破壊したのは戻ってきたロンだった。

上記の通り、映画の最後にはヴォルデモートがニワトコの杖を入手した場面で終了する。残る分霊箱は一体どこにあるのか?蘇りの石は?ルーナやネビルら、ホグワーツに残ったダンブルドア軍団はどうなるのか?スネイプ先生は一体何者なのか?そしてハリーとヴォルデモートの最終決戦の行方はどうなるのか?PART2が待ち遠しい。2011年7月の上映まで、残る以前の作品も復習して待つことにしよう。
posted by としゆき at 22:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

3D

今更ながら映画「アバター」を鑑賞。3D映像を最大に楽しむため、川崎のIMAXシアターに行って来た。この映画館は3日前の午前0時からネット予約できるのだが、暫くはちっともアクセスできないは、やっと繋がったかと思ったら予約で一杯…と、なかなか土日のチケットが取れなかったのだ。日曜日の最終だったら取れることもあるのだが、翌日の仕事を考えると、さすがに抵抗があった。それが、先日ふとネットを見てみたら、いつでも予約可能。確かに23日にはDVDが発売されるくらいだから、さすがに需要も一巡した…と言うところか。

ストーリー自体はさんざん報道されているから置いておくとして、確かに中国では上映禁止になると言う話も分かる気がする。特にチベットなんて反政府感情の火に油を注ぎかねない。

3D映像はさすがの出来で、特に映画の前半、思わず身をよけてしまうような演出が続く。以前、Panasonicの3Dテレビのデモを見たが、最近の3Dは昔あったような手前に飛び出して来ると言う映像よりは、奥行きが深い、と言う画面になっている。この映画も同じく、遠近法を感じる画面は特に空を飛ぶシーンなんかでは遺憾なくその魅力を発揮する。

今回はIMAXで見たのだが、IMAXじゃない普通の3D版だとどの程度なのだろう?さすがに2度同じ映画を見る気にはならなかったので、今度は「アリス・イン・ワンダーランド」でも見てみるか。

ところで、3D映画は字幕だと目が疲れる…と言う話も聞いたが、僕が見た限りではそれほどでもない。奥行きのある映像空間の最前面ではなくやや深い位置に字幕を表示する層が挟み込まれている印象(表現が難しいが…)。でも特に長い映画だと、確かに字幕よりは吹き替えの方が良いかも知れない。

元々海外では吹き替えの方が主流と言う話もあるし、最近の日本の若い人は字幕の活字が読めないとかで、吹き替えが増えているらしい。この次に見てみたいと思っている「シャッターアイランド」も謎解きを十分に楽しむには情報量の多い吹き替えで、というお勧め評論も見た。3Dと共に映画の見られ方も変わって行くのかも知れない。
posted by としゆき at 21:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

宇宙へ。

以前、『ザ・ムーン、宇宙へのフロンディア、宇宙へ。』でも触れた映画「宇宙へ。」を見てきた。基本的には「ザ・ムーン」や「宇宙へのフロンティア」同様、NASAの映像をふんだんに使った宇宙開発小史とでも言った作品。アポロ計画後の、現在まで続くスペースシャトル計画にも触れてるのが新しい。

1時間38分の上映時間ということもあり、テーマも絞り込んである。たとえばアポロ13の事故等は取り上げられていない。その代わりといってはなんだが、1986年のチャレンジャー事故、そして2003年のコロンビア事故が登場。チャレンジャー事故を受けた当時のレーガン大統領のテレビ演説が胸を打つ…

「打ち上げの中継を見ていた子供たちに伝えたい。冒険や発見の過程では、こうした痛ましい事故がときに避けられないのです。しかし、これは終わりではない。希望は受け継がれます。未来は臆病な人々のものではなく、勇気ある人々のものです」(映画パンフレットより)。

ちなみにこの映画パンフレット、ちょっとした写真集としてもよく出来ている。「宇宙へ。」もDVDが出たら買おうと思っているけれど、映像だけでなく、NASAの写真集とかでいいのがないか探してみよう。

ちなみに「宇宙へ。」日本語版はゴスペラーズのテーマ曲のはずだったが、僕の見た英語版では歌われなかった。ゴスペラーズ好きな人は日本語版をどうぞ。
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2009年08月23日

山猫

映画「山猫」。自らも貴族の家柄であるルキノ・ヴィスコンティ監督の作品で、赤シャツ隊を率いるガリバルディによるシチリア進軍を背景に、滅び行くある貴族を描いた物語だ。主人公のサリーナ公爵を演じるバート・ランカスターが、アメリカ人の癖にえらく流暢なイタリア語を話す…と思ったらどうも吹き替えらしい。

本来の上映時間は3時間を越えるため、実際には短くカットした版が公開された。オリジナルのフィルムは痛んでいたのだが、イタリア政府が国家プロジェクトとして修復作業を行ったのだと言う。僕が見たのはこの「イタリア語・完全復元版」。

「山猫」と言えば、民主党の小沢一郎が「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」という台詞を引用し、壊し屋・小沢一郎の「変化」を印象付けた…と報道された事で有名になった。今回映画を見てみて、クライマックスに登場するという、この印象的な台詞を楽しみにしていた。が、そんな台詞は出てこない。あれれ?と思って調べてみたら、他にも疑問を呈しているホームページを発見。

For things to remain the same, everything must change...


このページにも出てくるが、物語の最初、バート・ランカスターでなく、アラン・ドロン演じる甥のタンクレディが似たような台詞を話している。小沢一郎は少し勘違いをしていたのかも知れない。映画の中のタンクレディは、貴族の生まれながら革命に身を投じ、貴族でない女性と結婚し、その後も幸せに人生を送っている。今までの都市型改革政党の看板をかなぐり捨て、かつての自民党以上とも言えるバラマキで「政権交代」に邁進する民主党と彼自身としては、滅びの美学に殉じていく公爵よりもイメージに合っている?

ちなみに、映画の中でイタリア統一政府の議員に推薦されるも、公爵はそれを辞退。一方タンクレディは物語終盤の舞踏会のシーンで、公爵に選挙への立候補の意思を伝える…。
さあ、おそらく歴史に残るであろう総選挙は来週日曜日。
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2009年08月15日

謎のプリンス

映画のハリポタ最新作(第6作)、「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を見てきた。いつものごとく、ネタバレ注意。

原作はこの後、第7巻「〜と死の秘宝」で完結するわけだが、来年秋以降に公開される映画第7作は前編後編に分かれる予定。その意味では、この第6作と共に最後の「三部作」と言えるかもしれない。なんてことを考えたのも、テレビで監督のデヴィッド・イェーツのインタビューを見ていて、第6作の宣伝のはずがやたらと第7作の事ばかり話しているな、と思ったからだ。実際、シリーズ中僕の一番のお気に入り「炎のゴブレット」や前作「不死鳥の騎士団」に比べると、いま一つ山場のないイントロダクションのような展開が続いた。そういえばヴォルデモートもきちんとは出てこなかった。

物語当初、復活したヴォルデモートの威力により人間界にも悪影響が出始め、テムズ川にかかるミレニアム・ブリッジが破壊されたりする。ヴィジュアル的には面白いが、何のためにそんなことを?と言うのか、無意味な破壊活動が幼稚園のバスを襲う戦隊者の悪者みたいだったのがちょっと…。

それはさておき、「不死鳥の騎士団」では、時に感情的になったりして、「もう子供じゃない」と言った印象を与えたハリーだが、今作では逆にやや幼い印象を与える。表情なんかも幼くて、撮影された順番が逆なのでは…と思うくらいなので、見た人はみんなそう思ったのでは?これは上に書いたように激しい戦いのシーンがあんまりなかったりということもあるかもしれないが、半ば意図的かもしれない。というのも、今回のストーリーの鍵を握るのは第一作目から、いわゆる「イヤな奴」として登場していたドラコ・マルフォイだからだ。

前作で、ヴォルデモートの腹心であった父・ルシウスが逮捕され、その後を継いでなのか死喰い人(デス・イーター)となる。ハリー達の通うホグワーツ魔法学校のダンブルドア校長暗殺の密命を受け、周囲からも孤立した身となり、憂いを帯びてやたらと「大人」な印象を与える。彼の様子との対比で、ハリーが幼く見えるのだ。実際、ストーリー後半でハリーは彼らに対して何も出来ないまま無力な自分を感じる。

そして、これまた第一作から「いかにも怪しい」印象であったセブルス・スネイプ先生。ダンブルドア率いる不死鳥の騎士団の一員でありながら、ヴォルデモート一派とも関係があり(だからこそハリーには毛嫌いされている)、マルフォイの後継者ともなっている。シリウス・ブラックを殺した彼のいとこベラトリックスによって、ドラコ・マルフォイを保護すべく、彼が達成できなかった事を代わって成就するという「絶対敗れない約束」をさせられてしまう。これが仇となり、物語の最後、ダンブルドアを目前にして最後の最後でひよってしまったマルフォイに代わり、彼の命を奪う事になる(シリウス・ブラックが倒されたときと同じ、「アブラ・カタブラ」の呪文)。

ホグワーツの時計台から中庭に落下してしまったダンブルドアに対し、ミネルバ・マクゴナガル先生が杖を空に向けるシーンが美しくも悲しい。それに合わせて生徒達や教師達も杖を振り上げ、ダンブルドアの魂は昇天して行く。

死ぬ前に、ダンブルドアはハリーに対して、ヴォルデモートは自らの魂を7つの分霊箱に分けて、それぞれに印を残しているとされる。トム・リドル(若き日のヴォルデモート)の日記もそうした物のひとつだった。そして、ダンブルドアが「もうひとつ分かった…」という台詞と共にハリーを見つめるシーンがあるが、これはヴォルデモートとの戦いによって額に傷を持つハリー自身が彼の分霊箱だということなのだろうか?

早く続きが見たいが、次回作の公開は来年秋。映画のシリーズが終わったら原作を読んでみようと思っていたのだが、随分と先になってしまう。
posted by としゆき at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月02日

ザ・ムーン、宇宙へのフロンディア、宇宙へ。

スヌーピーとのだめ』でも書いたが、日本では今年1月に公開された映画、「ザ・ムーン」(原題"IN THE SHADOW OF THE MOON")がDVD化されている。NASAによって保存されていた膨大なフィルムから厳選された映像に、実際に月へと飛んだ宇宙飛行士達へのインタビューを重ねながら、アポロ計画を描く作品だ。

映画「アポロ13」や「オネアミスの翼」でも描かれる、ロケット打ち上げ時、氷が砕けて舞う有名なシーン。そしてケネディの有名な演説から映画は始まる。60年代の終わりまでに、人類を月に送って、そして安全に帰還させる…。

初めて月周回飛行を達成したアポロ8号。これまた有名な「地球の出」の映像が美しい。そしてついにNASAは月面着陸ミッションを決断する。もちろん、映画の中心となるのは人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号。インタビューで最初に登場するのは、アポロ11号で唯一人月面着陸せず、指令船パイロットとして月周回軌道上に残ったマイク・コリンズ。そして「ドクター・ランデブー」の異名をとったバズ・オルドリン。"first man"、ニール・アームストロングがメディアへの登場を避けているため、彼のインタビューは含まれていないが(もちろん、過去の映像による肉声はある)、コリンズ、オルドリンの2人は十分に饒舌だ。

打ち上げ、そしてロケットの切り離し。ロケット内部に設置されたカメラで撮影されたと思われる映像で、下部ロケットが青い地球へと落下して行く様子が見られる。そして月着陸船の映像。こちらは司令船からの映像か。着陸した直後、世界中でニュースが流れるが、日本の誰か(政治家?)が万歳している映像がおかしい。

もちろん、アームストロングによる名台詞、
That's one small step for "a" man, one giant leap for mankind.
も聞ける("a"の引用符についてはWikipediaの記事参照)。

そして月面から離陸して上昇していく映像も素晴らしい。アポロ11号のケースでは、着陸船近くに設置した星条旗が発射の爆風でたなびく様子が描かれている。

この映画は、実際の宇宙飛行士達によるインタビューが売りでもあるが、彼らの姿を映し続けるよりはナレーションにしてNASA秘蔵映像をもっと見たいというのも偽らざるところ。そう思っていたら、ヒストリーチャンネルで「宇宙へのフロンディア」(原題"FOR ALL MANKIND")という映画が放映された。こちらは「ザ・ムーン」に似ているが、もっと映像に特化した作品。「ザ・ムーン」とも被るシーンが多数登場する。アームストロングに続いて月面に降りたオルドリンが「ニールにとって小さな一歩でも私には偉大だ」とコメントしていたのは知らなかった。これを聞いたヒューストンの地上クルーは爆笑している。

この映画の最後にはこうある。"This film is dedicated to the men and women who have given their lives in the exploration of Space."。そして続くのは、

Apolo01 January 27, 1967
Virgil I. Grissom
Edward H. White II
Roger R. Chaffee

SOYUZ 1 April 24, 1967
Vladimir Komarov

SOYUZ 11 June 30, 1971
Georgy Dobrovolsky
Vladislav Volkov
Viktor Patsayev

CHALLENGER January 28, 1986
Francis Scobee
Michael John J. Smith
Judith A. Resnik
Ronald MeNair
Ellison Onizuka
Gregory Jarvis
Chrsta McAuliffe

月面着陸に成功したのがアメリカのアポロ計画だけなので、僕達はソ連の宇宙計画というとガガーリンくらいしか思い浮かべないが、もちろん米ソ冷戦下、ソ連も膨大な努力を宇宙開発に投じたことは間違いない。ソ連も崩壊した今、そうした資料や読み物なんかももう少し出てきてくれると嬉しい。ちなみにこの映画、VHSでしか発売されていなくてしかも絶版らしい。是非DVDでの再販を希望したい。

さて、今年は世界天文年2009(『君もガリレオ』参照)。「ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて星を見た年から400年 NASA設立50周年 人類初の月面着陸40周年」ということで、映画「ディープ・ブルー」や「アース」を製作したBBCが今年、「宇宙(そら)へ。」を送り出す(原題は"ROCKET MEN")。この映画、最近流行の日本語版主題歌とやらをゴスペラーズが歌う。ゴスペラーズは嫌いじゃないけれど、折角のドキュメンタリーをあんまりそういう扱いして欲しくない気もする。さらに言うと「宇宙」を「そら」と読ませたり、ガンダムじゃないんだからそんなに狙わなくてもいいのに…とも思ってしまう。

それはともかく、劇場公開は8月21日。今から楽しみだ(もっとも、NASAの設立は1958年のはずだけれど…)。
posted by としゆき at 01:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

マンマ・ミーア!

映画版「マンマ・ミーア!」を見てきた。以前、「ミュージカル」にも書いたとおり、ロンドンでミュージカル版は見た事があったのだが、日本を含む世界中でヒットしている映画版も見てみる事に。

ストーリーは基本的にミュージカル版と同じく、母親ドナの奔放な青春時代に関係のあった(台詞的には"...")3人の「父親候補」、サム、ビル、ハリーをを自らの結婚式に招くソフィー。ドタバタ喜劇風のストーリー中に母娘の深い愛情が描かれるお話。

ステージ版でも集団シーンは見ごたえがあったが、映画版ではやはりその辺りはお手の物で、たとえば"Money, Money, Money"での、いかにも"It'a rich man's world"的な映像や、ドナが"Dancing Queen"を歌いながら島を練り歩くと島中の女性が追随し始めてしまうシーンなんかは見ごたえがある。

元々がアバの楽しい曲をベースに物語が作られているので、ミュージカル映画に抵抗感がない人には非常にオススメ。映画自体としても、ソフィーから結婚式でのエスコートを頼まれたときのドナ役メリル・ストリープの演技が素晴らしい。

ミュージカル版のカーテン・コール同様、映画のエンド・ロールは"Dancing Queen"コンサート風。ステージならここで観客総立ちだろうな…と思ったら、この映画、「みんなで歌おう!英語歌詞字幕付きヴァージョン」も存在する。もう上映が終わった映画館も多いが、六本木ヒルズのTOHOシネマズでは今月27日までの金・土に開催中。ペンライトも配布されるらしいので、「歌って、踊って、発散し」たい人は是非。

映画自体は面白かったし、ネタとしてこのカラオケ版も見に行こうかな…なんて考えつつ映画のサントラを買ってみたのだが、何で"Chiquitita"が入ってないんだ!?版権の関係!?
posted by としゆき at 21:40| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

パトラッシュ

「フランダースの犬」がケーブルテレビで放映されていた。ウィーダ原作の小説を元にアニメ化され、「世界名作劇場」シリーズとして放映された作品の劇場版リメイクだ。そのどうしようもなく悲惨なストーリーで余りにも有名な作品だが、実はちゃんと見た事がなくて、知り合いに薦められたこともあって見てみることにした。

祖父と共に貧しい生活を送る主人公ネロ。ルーベンスに憧れ、画家を志すも、その祖父もなくなり、村の風車が火災で焼け落ちると放火犯扱いされ、親友のアロアとも会う事を禁じられる。

祖父と行っていた牛乳運びの仕事からも干され、失意のどん底に突き落とされる。にもかかわらず、牛乳タンクを積んだ台車をけなげにも運ぼうとするパトラッシュの姿、そして、祖父の墓前で「牛乳配達の仕事がなくなってしまったよ…どうしたらいいんだろう」と呆然とするネロの姿が悲しすぎる。

天からの祖父の声に励まされ、絵画コンクールに出品する絵を何とか完成させるネロ。ネロの才能を買う審査員からの強い押しがあったものの、単なるクロッキーに過ぎないネロの作品は落選してしまう。クリスマスの日、吹雪の中を村への帰途につくネロとパトラッシュ。その途中、アロアの父・コゼツが落としてしまった大金を雪の中から見つけ出すパトラッシュ。疲れ果てて眠るパトラッシュをアロアに託し、こっそりと雪の中に姿を消すネロ。パトラッシュもネロを追って駆け出していってしまう。

ネロを引き取って絵画学校へ通わせたいと言う審査員がアロアの家にやってくるも、ネロとは行き違い。溜まった家賃が払えないならクリスマスまでに出て行くという大家との約束を果たした結果だった。行く当てもなく教会にやってきたネロは、普段は有料でしか開帳されないルーベンスの絵をやっと見ることが出来た…「マリア様、僕はもう思い残す事はありません」…ネロが落とした帽子を咥えて命からがらネロを追うパトラッシュ。力尽きかけるも、再び天からの祖父の声に導かれて、ネロのもとに辿りつく。
「疲れたんだね…僕もだよ…おじいさん、ごめんなさい、もう休んでいいでしょう?…パトラッシュ、一緒に休もうね…」あこがれていたルーベンスの絵の前で、ネロとパトラッシュの魂は天使に迎えられて昇天していく。

映画はその教会で修道女となったアロアの回想の形を取る。オープニングで子供達にルーベンスの絵を見せながら、「ルーベンスと同じくらい、いえ、それ以上にすばらしい画家を知っているわ」と語る。かつてネロが自分のために書いてくれた絵を眺めながら、ネロやパトラッシュと過ごした日々を思い出していく。

通常、童話はハッピーエンドで終わるものだが、救いようのない悲惨なこの物語、地元ベルギーではほとんど知られていないと言う。また、Wikipediaでの「フランダースの犬」の項目を見てみると、『ストーリーが欧州の価値観からは「負け犬の死」としか映らないことも要因とされる』等と、随分ひどい事も書かれている。実際、昨年末にはベルギー人監督が、日本人「だけ」に受ける理由を探るドキュメンタリー映画を製作…と言った記事も出ていた。日本人には受け入れられやすい「滅びの美学」、キリスト教的価値観とは合わないのだろうか?

ネロが最期に見る事が出来たルーベンスの2枚の絵とは、「十字架昇架」と「十字架降架」。アントワープのノートルダム大聖堂で今でも見ることができる。



また、普段から祈りを捧げていた「マリア様」は「聖母被昇天」。



日本人観光客が多く訪れると言う。僕もベルギーに行ったら見てみたいものだ。
posted by としゆき at 17:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

ラスベガスをぶっつぶせ

3月末の北米映画興行収入ランキングで、ソニー配給作品「ラスベガスをぶっつぶせ」が初登場首位になったという。原作はベン・メズリックの小説で、MITの優等生でありながら、同時にラスベガスのカジノで荒稼ぎする主人公を描いた作品だ(ちなみに邦訳小説は題名「ラス・ヴェガスをブッつぶせ!」とちょっとだけ違っている)。

カジノの多くのゲームの中でも、ブラックジャックだけは「確実に」勝つ事が出来ると言う。というのも、他のゲームと同様、ルール上では統計的に少しだけ胴元有利なのだが、ブラックジャックでは出たカードを記憶していって(カウンティング)、残りのカードの条件付確率を計算するという「裏技」が存在するからだ。もちろん、厳密にはルール違反であり、カジノ側にばれれば退場を余儀なくされるし、物語の中でもそういう場面が登場する。カジノ側もそれを防ごうと、カウンティングを疑われた客は徹底的にマークしたり、カジノ間で連絡を取り合って出禁にしたりもする。それにどう対抗していくか…がストーリーの見せ場だ。

カウンティングについては「ディーラーをやっつけろ!」に詳しい。株式投資関連本等でおなじみのパンローリングから出版されているのもなかなか興味深いが、このカウンティング、記憶力と共にそれなりの訓練も必要で、実践するのは結構難しい。ロンドン等のヨーロッパでカジノに行ったときに試みた事はあるが、ディーラーのカードを配るスピードの速さにあっという間に置いていかれて全く使えなかった。ラスベガスには行ったことがないのだが、徹底的に練習していつかベガスでチャレンジしてみよう。

ところで、(日本国内ではこれまた違法だが)オンライン・カジノのサイト等ではこのカウンティングが活用できてしまうのではないかと思うのだが、それで大もうけしたと言う話は(怪しげなmixi内の人物以外)寡聞にして知らない。どなたかこの辺りに詳しい方は是非教えてください。

また、果たしてカジノ側自体がイカサマをしているのか?という問題についても良く分からない。日本でのカジノ論第一人者である谷岡一郎はその多くの著書の中で、「ありえない」と断言しているし…。ルーレットのシューターが出目を操作出来るというのは本当なのだろうか?

ところで、僕の持っている「ラス・ヴェガス〜」の単行本の腰巻には、「『LAコンフィデンシャル』『アメリカン・ビューティー』のケヴィン・スペイシー主演+プロデューにて映画化!2004年秋全米公開予定」と書いてあるから、本来の予定からは随分と遅れたものだが、日本でもいよいよ5月31日から公開される。ベン・メズリックには在日外国人トレーダーの生態を描いた「東京ゴールド・ラッシュ」という作品もあり、こちらもオススメ。こちらも腰巻には「ケヴィン・スペイシー プロデュースで映画化決定!」と書いてある。実際に目にすることが出来るのは一体いつの事やら。

今amazon.co.jpで探してみたら、同じくベン・メズリック原作、真崎義博訳で「カジノは奴らを逃がさない!」という作品もあるらしい。「ラス・ヴェガス〜」を読み返すと共にこちらも読んでみて、映画公開に備えるとしよう。
posted by としゆき at 21:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

上野樹里2作品

「のだめカンタービレ」での、のだめこと、野田恵役がはまり役の上野樹里(「歌うように。」参照)。彼女が出演した映画を2本見た。とはいえ、上野樹里が見たかったわけではなく、脚本が面白いと聞いていた2作品に、たまたま彼女が出演していただけなのだが。

一つは「サマータイムマシーン・ブルース」。元々は舞台作品だったが、「踊る大捜査線」や「UDON」の本広克行監督で映画化された。大学のSF研究会部室に突如現れたタイムマシンを巡るコメディだ。部室で使っていたエアコンのリモコンが壊れてしまった事から、昨日に戻ってリモコンを奪ってこようと計画。タイムマシン物にありがちなパラドックス(過去に介入してはいけない)を避けるため、過去から奪ったリモコンを戻そうとして歴史が複雑に絡み合う…とはいえ、主な舞台は昨日と今日。かなり過去とやや未来もちょっとだけ登場するが、全ての時代を駆け巡ったある「存在」の設定が秀逸。

佐々木蔵之介演じる助手がタイムマシン理論を説明する黒板には、複雑なテンソル演算と共に、ちゃんとペンローズ・ダイアグラムが描かれていたりしたのがおしゃれ。中盤、いなかったはずの主人公・甲本(演じるのは瑛太)がひょっこり姿を現すあたりが(タイムマシン物として)一番盛り上がるところか。上野樹里は一応、ヒロインの柴田役。ストーリー展開の中ではいま一つ存在感がないが、最後にいきなり重要人物となったりもする。

もう一つは「亀は意外と速く泳ぐ」。退屈な生活を持て余す主婦が、ひょんなことからスパイになる。下された指令は「平凡に暮らす事」。上野樹里がこの主婦・スズメ役で、ナレーションもつとめる。下らなくも、なんともおかしな設定が笑いを誘う。スパイに選ばれたスズメが冷蔵庫に支度金の札束を隠して、「フェッ、フェッ、フェッ」とにやつくシーンがとっても印象的。前半、奇妙な「永久パーマ」をかけるシーンはあるが、それ以外の上野樹里はなかなか可愛らしい。妙な世界観にマッチして、これも彼女のはまり役という気がする。

物語は後半、いよいよスパイ活動が開始され急展開…登場人物たちが意外な接点で関係してくる。ある意味、これも舞台作品ぽいつくりなのだが、こちらは映画オリジナルらしい。誰か喫茶店のストローで肝臓を作れる人、是非僕に作ってください(本編映画参照のこと)。
posted by としゆき at 21:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月30日

ビューティフル・マインド

映画「ビューティフル・マインド」のDVDを借りてきた。たまたま別に読んでいた本でジョン・ナッシュの名前を良く目にしたためだ。ジョン・ナッシュはこの映画の主人公であり、ゲーム理論における「ナッシュ均衡」の概念でよく知られる、ノーベル経済学賞受賞者。最初、「ビューティフル・マインド」の映画の話を聞いたとき、有名人を主人公にした単なる恋愛物のような印象があって食わず嫌いだったが、アカデミー作品賞を受賞したり、非常に良くできた映画と言う話を聞いいたので、以前から見てみたかったのだ。

以降、例によって思い切り内容に触れるので、映画を未見で中身を知りなくない人は注意。

数学の才能に溢れながら、社交性に欠け、周囲との人付き合いも苦手なナッシュ。奨学金を受領してプリンストン大学にやってくるも、授業にも出ず、論文を一本も書かず、「独創的なアイデア」を追い求めて数学の世界に埋没していく。そんな彼の心の支えとなったのは、ルームメイトのチャールズだった。

もっとも、最大のライバル・ハンセンを始めとする周囲の数学科仲間も、変な奴だと感じながらもナッシュとの友情を深めていく。もっと研究に精を出せという指導教官。教授用カフェで、画期的な業績を上げた同僚へとペンを贈る風習を目にしたナッシュに、彼はこう告げる…君も成果をあげるんだ。その後、ナッシュは「ナッシュ均衡」へと至る博士論文を提出し、ウィーラー研究所でのポストを得る。スタッフとして数学科の同僚2人を選び、祝賀会ではハンセンも心から祝いの言葉を述べるのだった。

その後、ソ連スパイの暗号解読に協力し、政府関係者と名乗るパーチャーから、雑誌記事に埋め込まれた暗号を解読する極秘任務を与えられる。順調に任務をこなしながら、ソ連側に身元のばれてしまったナッシュは命を狙われる。全米数学会での記念講演会場を取り囲む黒服の男たち。逃げ出す彼を、精神科医ローゼン達は無理やりに拘束する。ソ連に拉致されたと信じるナッシュの視線の先には、チャールズの姿があった。チャールズはナッシュを裏切ったのだろうか?

夫ナッシュの異常を知らされて、ローゼンの元へと赴く妻であり、かつての教え子でもあるアリシア。夫が統合失調症(ちなみに字幕では「統合失調症」、吹き替えでは「精神分裂症」だった)であるという説明を信じられないアリシアはローゼンに告げる…「夫は諜報関係の仕事をしていて…」…しかし、ローゼンはこういう、ナッシュの幻覚は恐らく学生時代から始まっている。チャールズという架空のルームメイトを「創造」した頃から(!)。実際のジョン・ナッシュが精神病に苦しんだのは知っていたが、チャールズが実在しないと告げられるこのシーンはなかなかに衝撃的。言ってみれば映画「シックス・センス」の最後のような(これもネタバレになってしまうが)。

さて、薬物治療を続けるナッシュだが、薬の副作用で研究に身が入らない。徐々に薬を飲まなくなるナッシュの元に、再びパーチャーが現れてこう告げる。ソ連スパイの摘発までもう少しだ、君の協力が必要だ、スパイが名簿にないからって不思議じゃないだろ…見ている方も、どこまでが真実でどこからが偽りなのか、パーチャーは実在するのか、ローゼンは果たして「こちら側」の人間なのか…混乱の極みへと追い込まれる。

精神的にもギリギリまで追い詰められたナッシュは、チャールズの連れている姪がいつまでたっても年を取らない事から、現実の人間ではない事に気付く。初めて自分の病気を認識しつつも、入院を拒否し、薬物治療を続けるナッシュ。かつてのライバル、ハンセンの助力により、大学図書館で研究を続けられるようになる。周囲から変人扱いされ、学生に疎まれながらも、大学での生活で自分を必死に取り戻そうとするナッシュ。未だにパーチャーやチャールズは周囲に「存在」し、ナッシュを苦しめる。

そんな中、図書館で孤独な研究を続けるナッシュの元にも、学生が研究の相談にやってきたり、教壇に立つ自信も次第に出始める。幻覚は相変わらず見続けるものの、次第に「正常」に戻りつつある、そんなある日、ナッシュの元にノーベル賞が贈られるという話が舞い込む。教授達用のカフェで話を聞くナッシュのテーブルに、周囲のスタッフ達が続々と集まって来てペンを置いていく。カフェの入り口が見えた段階で予想できた光景だが、この映画の中で最も胸詰まる感動の場面だった。

ノーベル賞受賞講演で、妻アリシアへの感謝の言葉を述べるナッシュ。そんな彼の胸ポケットには、かつてアリシアと初めてのディナーへ出かけたときに、彼女から送られた思い出のハンカチが差し込まれていた…(劇中、このハンカチは入院を逡巡する場面や、プリンストンに復職を頼みに行く場面等、何度もナッシュの手に握られ、アリシアとの愛の証を示す小道具になっている)。

ところで、映画を見る直前にたまたま北杜夫の「どくとるマンボウ医局記」で、当時の精神病院・治療の様子を読んでいたところだった。映画の中でもインシュリン療法を施されたナッシュが全身痙攣を起こしたりしており、彼の病気についてはやはり重い印象を残す映画だったが、そんな中、ほっとするようなコミカルな場面が二つ。数学科仲間で、研究所でも同僚だったソル(彼の暗号解読任務が幻覚であることに気付いた)が療養中のナッシュを訪ねるシーン。彼の前の椅子に座ろうとしてナッシュから「そこは人が座ってる…冗談だよ」と言われるシーン、そしてもう一つ、授業を終えて教室を出るナッシュに、ノーベル賞受賞についての知らせを持ってくるキングを前にして、横にいた学生に「君には彼が見えるかい?」と訪ねるシーン。

ナッシュの実像を美化しすぎているという批判はあるものの、ナッシュ個人という人を超えて、非常に良くできたヒューマン・ドラマだと思う。ナッシュ役のラッセル・クロウの演技も見事だった。DVDではカットされたシーンの「おまけ」付で監督の解説が入っているが、薬を飲まなくなったナッシュの前にパーチャーが再度現れるシーン。元々はチャールズも現れるはずだったが、そうしないほうが虚実入り混じった印象を与えるだろう…という判断でカットになったと言う。後から考えればこれは大正解。映画の出来は脚本や配役だけでなく、最後の編集によっても大きく左右されるという好例だった。
posted by としゆき at 21:51| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

大自然

映画「アース」を見てきた。映像は冬眠から目覚めたホッキョクグマから始まる。その後、300万頭ものトナカイの大移動の姿。そのすぐ横には、ホッキョクオオカミの姿も見られる。さらに南下すると、樹木限界線を越え、初めて樹木が姿を見せる。地球上の3分の1の樹木を有するタイガでは、雪解けの後、いっせいに酸素を吐き出して地上の酸素濃度が上昇すると言う。

さらに広葉樹林帯や奈良・吉野の桜の美しい開花を経て、我々はさらに南下していく。熱帯雨林では異形の鳥たちの変わった生態も。サバンナでは、オカバンゴ大湿地帯を目指して旅を続けるアフリカゾウの群れと、それを虎視眈々と狙うライオンの群れの対比。そしてザトウクジラの親子の長い旅が。熱帯で子育てをした後、餌を求めて南氷洋へと旅立って行く。

映画の最後には、温暖化によって溶けるのが早くなってしまった流氷の海を必死に泳ぐホッキョクグマの姿が描かれる。陸地で休息するセイウチの群れを見つけ、リスクを犯しながらもそれを襲うホッキョクグマ。鋭い牙を持つセイウチを襲うことは稀だということが、彼の追い詰められた現状を表している。何度もの挑戦の後、北の大地には一頭のホッキョクグマが力尽きて横たうことになった…。

予告編で見た、渓谷全面を覆うように飛んでいく鳥の群れの映像に魅入られて見てきたのだが、さすがに大画面のスクリーンで眺める「地球」の映像は感動的だった。あえて不満を言えば、この手の作品にありがちな「エコ」な警告がやや鼻につくこと。「地球上で最も美しいものを目にする、これが最後のチャンスである」というアラステア・フォザーギル監督の言葉も。何故純粋に大自然の美しさを魅せる事が出来ないのだろう。美術館に絵画を見に行っても、「最近は民主主義になってしまって、ルネサンス時代の様にパトロンになる貴族がいなくて大変です」…等と愚痴られた事はないのと同様に。

それはさておき、「アース」は映画「ディープ・ブルー」のスタッフが大勢参加している。さらにNHKで放映された「プラネットアース」シリーズの映像も用いられている。「プラネットアース」は残念ながら見逃したので、「ディープ・ブルー」のDVDを借りてきて見てみた。2003年に放映された海洋ドキュメンタリーだ。海に特化してはいるが、個人的には「アース」よりも楽しめた。こちらも「アース」同様、ハイビジョン映像を大スクリーンで見てみたい気もする。
posted by としゆき at 19:27| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月31日

どんでん返し

アガサ・クリスティ原作の映画「情婦」を見た。原作は「検察側の証人("Witness for the Prosecution")」。クリスティ自身が戯曲化した作品を、ビリー・ワイルダー監督で映画化したものだ。裕福な未亡人殺害容疑で逮捕された夫。妻のアリバイ証言は身内であるため省みられないが、あろう事か、妻は検察側の証人として登場し、夫の有罪を訴え始めた…。

原作を読んだことはないのだが、以前から見てみたかった作品の一つ。たまにテレビの深夜放送で放映されていたりするが、毎回、作品紹介にその脚本の秀逸さが述べられている。何故か機会を逸し今まで見られなかったのだが、たまたまレンタル屋さんで見つけたので早速借りてきてみた。

邦題の「情婦」はなんだか扇情的な命名だが、原作の「検察側の証人」の方が格調高い。妻が法廷で夫と敵対するところまでは良く紹介されているので知っていたのだが、その後の展開はまさに「どんでん返し」。「シックス・センス」ではないが、結末を知ったとしても映画未見の人には絶対に言わないで下さい、という注意が出る。今まで色々な作品の結末に触れてきたが、さすがにこの作品だけは内緒にしておくので是非見て欲しい。妻のクリスチーネを演じるのは、脚線美で知られるマレーネ・ディートリッヒ。今作品中でもワン・シーンだけその脚線美が披露(?)されているのはご愛嬌。

最後の最後で「騙された!」と感じられるどんでん返し系の映画が好きなので、この作品も非常に楽しめた。そうした映画が好きな人には、コン・ゲームの名作「スティング」が5日にNHK BS2で、ラスト・シーンで文字通り鳥肌の立つ傑作「ユージュアル・サスペクツ」が12日にWoWoWで、それぞれ放送されるのでお楽しみあれ。
posted by としゆき at 22:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする