2007年09月24日

エジプトの女王

今年、エジプト考古学では非常に大きな発見があった。カルナック神殿のオベリスク(現存するものでは最大)や、荘厳な葬祭殿(「王家の谷」参照)で知られる、古代エジプト史上初の女性ファラオ・ハトシェプスト女王のミイラが特定されたのだ。王家の谷に初めて墓を作ったのは、第18王朝のトトメス1世だが、その子、トトメス2世の異母姉がハトシェプストであり、トトメス2世と結婚、トトメス3世をもうける。トトメス2世没後、トトメス3世とエジプトを共同統治した「男装のファラオ」だ。

その統治中、ブント(現在のソマリアとされる)との交易に力を入れ、ミイラの防腐剤としても使われた没薬(もつやく)や、様々な儀式に用いられた乳香等を輸入していた。ルクソール(古代のテーベ)にあるハトシェプスト女王葬祭殿には、ブントとの交易に遣わした大遠征団の見事な壁画があり、ナイル川ではなく、紅海に住む魚の姿なども生き生きと描かれている。

ディスカバリー・チャンネル等の協力の下、エジプト考古庁のザヒ・ハワス長官らは、王家の谷KV60で発見されていながら長らく放置されていたミイラのうち一体が、このハトシェプスト女王のものと断定することになった。カイロの考古学博物館に保存されているトトメス1世、2世、3世のミイラから採取したDNAとの比較や、CTスキャナによる3次元立体映像の解析によるものだ。トトメス王達に共通する遺伝性の皮膚病の痕跡や、王家の人間に共通する左手を胸の上に置いたミイラの体勢、前歯の出た特徴的な相貌等も手がかりとなったのだが、何よりも幸運だったのは、ハトシェプストの名前が刻まれ、内臓を収めていた木箱には、根が折れた一本の歯が入っており、それがミイラの歯茎(根だけが残されていた)とぴたり一致したのだ。

アメリカでは7月に放映されたらしいが、日本ではこの9月にやっと放映の運びとなり、以前から楽しみにしていた番組をやっと見ることができた。長官は「ツタンカーメン発見以来の偉業だ」と、興奮を隠さない様子で語っていた。「王家の谷」で「悪名高きエジプト考古庁」等と書いてしまって、少し反省…。

ハトシェプスト没後、男系の王位継承を確固たる物とするため、共同統治者でもあり義理の息子であったトトメス3世は記念碑や葬祭殿からハトシェプストの名前・肖像を削り取らせることになる。「KV63の謎」でも書いたが、古代エジプトではそうした「歴史からの抹殺」はしばしば行われている(後のローマ帝国時代にも、皇帝没後に元老院から「記録抹殺刑」が下されたりする…人間のやることはいつの時代も変わらないのかもしれない)。平和裏に推移したハトシェプスト治世に対し、トトメス3世は積極的な軍拡路線を敷き、エジプト史上最大の版図を築くことになる。

そしてその数代後のファラオには、アメンホテプ4世やツタンカーメン等が登場することになる。3500年のときを経てなお、歴史のロマンを感じさせる古代エジプトの魅力は尽きない。

ちなみに、漫画のギャラリーフェイク「ナイル盗掘ツアー」(文庫本第3巻)では、吉村作治をモデルにした(としか思えない)「Y大・吉岡助教授」が登場し、主人公・藤田から、ハトシェプスト女王のミイラ発見の栄誉を譲られている。王家の谷で発見されたそのミイラは、女王の象徴とも言える没薬が棺内から発見されたことと、「丸みを帯びた逆三角形の輪郭!!。アーモンド形の眼………!!伝えられるハトシェプストの面差しとぴったり符合するッ!!」ということからハトシェプストだと断定されている。もし仮に歯の形で特定されたことになっていたら、出来すぎたフィクションだったのだが。「ギャラリーフェイク」ではミイラから「死者の書」が見つかることになっているが、残念ながらこちらは未発見…って、そりゃそうか。
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2006年12月10日

KV63の謎

ディスカバリーチャンネルで「王家の谷 63番目の墓の謎」を見た。エジプト紀行『 王家の谷』でも書いたが、2005年に新たな墓が発見され、KV63 と名付けられた。1922年に発見されたツタンカーメン墓(KV62)から15メートルしか離れておらず、ツタンカーメン縁の人物の物と考えられている。

ツタンカーメンはエジプト中王国時代第18王朝のファラオだが、この時代のエジプトでは多神教が信仰されていた。中王国時代の首都テーベの神・アメンは、古王国時代の最高神であるラーと同一視され、アメン・ラーとして国家最高神の地位を占めていた。そして、アメン神殿の神官達は絶大な権力を持ち、王権に対抗する存在となっていた。

それに対し、ツタンカーメンの義父アメンホテプ4世は、日輪を象徴するアテン神こそが唯一にして絶対の神であるとして、多神教から一神教への「宗教改革」を断行。自らもアクエンアテンと改名し首都をアケト・アテンに遷都する。後のユダヤ・キリスト・イスラム3大宗教が一神教となるのに大きな影響を与えたとも言われている。余談だが、アクエンアテンとはイクナートンとも発音され、エジプトで見学したカーペットスクールの名前にも採用されていた。

ところがこの宗教改革でエジプトは大混乱に陥る。アクエンアテンの死後、王位を襲ったツタンカーメンは、アメン・ラー神を中心とする多神教を復活させることになる。神官達によってアクエンアテンにまつわる石碑等は徹底的に破壊されたとも言われ、18歳で夭逝したツタンカーメンともども、いわば歴史から抹殺されてしまう。

ところで「トリビアの泉」でも、「ツタンカーメンの幼名はツタンカーテン」というネタが採用されていたが、ツタンカーテン(トゥトゥアンクアテン)はアテン神時代の名前だ。アメン神信仰へと復帰して、ツタンカーメン(トゥトゥアンクアメン)と改名したのだ。

KV63では全ての棺が空にされており、また、何かの黒い樹脂によって、棺に刻まれた王の名前等は全て隠されてしまっていた。アクエンアテンによる宗教改革とその後の混乱で、その存在を消し去る必要があった「何者か」が埋葬されていたのかもしれない。美しい女性を模った黄金の棺や、ツタンカーメンと同じ文字の刻まれた封印が発見されており、番組ではツタンカーメンの母キヤの墓ではないか?ということが強く示唆されていた。現在も調査は続いており、謎の解明が待たれるところである。

ところで力を持ちすぎた神官に対抗するための遷都や、自らを太陽に擬えた神格化宣言等、エジプトに限らず日本でも聞いた事のある話だ。794年の平安京遷都は、政治的影響力を持ち過ぎた奈良仏教界を排除するためであるとされるし(文字通り「泣くよ坊さん、平安京」なのだ)、後者は手塚治虫の「火の鳥・太陽編」を想起させた。歴史は繰り返すのか、人間は思ったより進歩しないものなのか。
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2006年11月18日

マアッサラーマ、カイロ

mosque.jpg

ピラミッドとスフィンクス』、

王家の谷』、

エジプトの神々』、

ラムセス2世』、

メンフィス、サッカラ、ダハシュール』、

カイロ最後の夜』の続き。

日本とエジプトを結ぶエジプト航空の直行便は週3便。週末絡みだと土曜成田発、金曜カイロ発となるため、8日間のツアーが基本となる。今までのエジプト紀行で書いてきたとおり、この8日間で大まかな観光地はまわる事が出来るが、エジプトにはその他にも観光名所が目白押しで、それらを訪れようと思ったらさらに長期間のツアーとなる。

最近では白砂漠・黒砂漠ツアーが楽しめるエジプト西部のバフレイヤ・オアシスも人気だ(2004年には日本人大学生カップルが遭難して大騒ぎにもなった)。また、キリスト教の歴史に興味のある人は、モーゼが十戒を授かったとされるシナイ山は欠かせないだろう。シナイ半島では紅海でダイビング等も楽しめる。シャルム・イッシェーフというリゾート地は、イスラエル占領時代に開発されたらしいが、返還後もエジプトはちゃっかり観光開発を引き継いでいる。

また、地中海に面するアレキサンドリアや、運河に面するスエズ等も捨てがたい。帰国便が夕方発だったので、最終日(エジプト7日目)午前中は自由時間だったのだが、ガイドから「アレキサンドリアやスエズは行かないように」としっかり釘をさされた。カイロからバスで3〜4時間のアレキサンドリアは兎も角、2時間程度のスエズや、3時間程のポートサイドなら何とか行けるかな…と期待もしていたのだが。というわけで、カイロ市内で過ごすことにして、ホテルから歩いていけるマニアル宮殿に行くことにした。

マニアル宮殿はモハメド・アリの居宅であった。モハメド・アリと言ってもボクサーではなく、オスマン帝国のエジプト総督から、独立国家を築いた人物だ。死後は市内、シタデル要塞地区にある、モハメド・アリ・モスクに葬られた(写真はエジプト2日目にピラミッドを見学した後に訪れた同モスク)。

マニアル宮殿ではモハメド・アリの書斎やリビング、宮殿に隣接したモスク等を眺める事が出来る。延々と動物の剥製が並ぶ狩猟博物館も壮観だ。さりげなく象牙の置物や、像の足を用いた傘立て(?)、像の耳で造ったテーブル等が置いてある。イスラム休日の金曜日ということもあって暇だったのか、宮殿の職員が親切に案内してくれて、立ち入り禁止のロープを取り払ってダイニング・テーブルに座らせてくれたり、写真を撮ってくれたりする。この辺は柔軟というか、いいかげんというか、ともかくバクシーシ(チップ)目当てであることは間違いないのだが。

そしてホテルのプールサイドでのんびりと過ごして時間を潰しながら、帰国の途につく。再びこの国を訪れることはなかなかないかもしれないが、小さい頃からの憧れの国を訪れた満足感でいっぱいだった。また、久々にツアー旅行に参加したのだが、改めてその効率の良さを実感した。エジプト観光をするなら、個人旅行よりもツアーの方がオススメかもしれない。

その他、余談。

ピラミッドとスフィンクス」で、「地球の歩き方」エジプト編の表紙は駱駝に乗った観光客と書いたが、最新刊('07〜'08年版)では、ツタンカーメンの黄金のマスクに変更になっていた。

ガイドによると、世界中どこでも見られる中華街がこの国にはない。というのも、血族の結びつきを重視してビジネスを進めていく華僑のやり方が、そのままアラブ商人のやり方と被るのだそうだ。そのため流通面等で排除されてしまい、エジプトには入り込めないのだと言う。従って中国野菜等も手に入りにくく、確かにツアー途中で立ち寄った中華料理屋でも野菜は現地のモノを使っていた(その店は珍しく中国人経営だそうだが)。

エジプト人の日本人に対するイメージは、全くといっていいほどないと言う。在住日本人もおり、観光客も多く訪れるのだが、エジプト人にとっては「何だかよく分からないけれど、お金を持ってる不思議な人たち」という程度のものだそうだ。ただ、アラブ圏ではよく言われることだが、NHKのドラマ「おしん」が大人気だったり、SONY製品が最高級品とされていたり、またこの頃は他の国同様、日本製のアニメ番組等が人気。

思った以上に英語が通じる。イギリス領だったこともあるし、観光立国でもあるせいか、特に言葉では困らなかった(もちろん、ツアーだったからということも大きいが)。観光客が大勢訪れる、ハン・ハリーリ市場でも、お店の人が一生懸命商談を行っている。大勢で冷やかしていても、英語が分かると知られた瞬間、個人的に狙ってくるので、それはそれで大変なのだが。
posted by としゆき at 20:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | エジプト関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

カイロ最後の夜

ピラミッドとスフィンクス』、

王家の谷』、

エジプトの神々』、

ラムセス2世』、

メンフィス、サッカラ、ダハシュール』の続き。

午後からのカイロ観光に戻る前に、カーペット学校による。このカーペット学校は、子供達に機織りの技術を教えて生活していけるようにという専門学校であり、立ち寄った観光客相手の即売もしている。今回のツアーもご多分に漏れずお土産屋に立ち寄ることは立ち寄るのだが、無理強いすることもないし、洗面を兼ねた休憩でもあるので、それほど不愉快でもない。日本人のお客が多いのだろう、日本語でも学校名が表記してある。悲しいかなアクナートン・カーペット・スクールのはずが、「イクナトソ」になってしまっている。そういえばスーク(市場)でも「バザ〜ルでござ〜る」という呼び声を聞いたり、「セブンイレブン並みの品揃えです。」という看板だのを見かけたりした。

スクールの子供達の指の超絶技巧にはさすがに驚き。目もとまらぬ速さで糸を織り上げていく。しかも、頭の中には出来上がりの模様が入っているのだろうが、作成途中では何をしているのか全く分からない。織り上がったあと、表面のムダ毛(?)を切り揃えると…それは見事なデザインが現れてくるのだ。

そんなこんなで見学が終わった後のスクールの2階は展示即売会場と化す。怪しい日本語を駆使しながら、電卓片手の商談がそこかしこで展開される(僕達以外のツアー客も大勢やってきているのだ)。こちらのお土産屋全般にいえるのだが、最初に提示された売値に難色を示すと、必ずこちらの買値を聞いてくる。どこまで下がるか見てやろう…等と思っていると、「いくらなら買うんだ?」と執拗に食い下がる。まあ、半分くらいならいいか、なんて思っているとそれは全然割高価格だったりする。去年、中国に行って白タクに捕まったとき、最初の言い値の3分の1程度を言ってみたらあっさり商談成立してしまった事があった。後で聞くと10分の1くらいが相場らしい。しかし日本での生活に慣れていると、いくら吹っ掛けているとは思っても、なかなか10分の1の値段を言うのは難しい。敵もさる者、その辺りはしっかりと計算済みなのだが。

そして午後はカイロ観光の目玉でもある考古学博物館へ。ツタンカーメンの黄金のマスクが展示されていることで有名だ。それ以外にも、ラムセス2世を始めとする歴代ファラオのミイラや、数々の遺跡が盛りだくさん。いや、博物館というよりも、もう倉庫とでも言うような稠密さでロゼッタストーン級の遺物がゴロゴロしている。入り口からすいすい歩いていくと、あっという間に2000 年分を体験できる、そんな濃密な時間軸が展開される。

やはりツタンカーメンの展示室が一番人気であり、お目当ての黄金のマスク前ではいつまでも見入ってじっとしている人までおり、なかなか正面から眺められなかったりする。マスク以外にも装身具や黄金のサンダル、はては指サックまで、これでもか、と言わんばかりの黄金尽くしだ。展示室外にも、ツタンカーメンの棺の入っていた黄金の厨子だの、ツタンカーメンが座った黄金の玉座だのが置かれている。また、棺の上に彼の王妃アンケセナーメンが奉げたと言う矢車草の花束、その花束も展示されていた。

最終日が機内泊となるため、実質上カイロ最終夜となる本日は、ナイル川でのディナークルーズと洒落込む。バンドの生演奏と共に、クルーズ船は静かにナイルの岸辺を離れていく。男性がカラフルなスカートの様な衣装をまとって、ひたすらグルグルと回転していくスーフィーダンスが始まる。見ているこちらの目が回りそうなほどだ。そしてアラブの夜といえばベリーダンス。夜が遅いカイロっ子は深夜2時、3時までナイトクラブでベリーダンスを楽しむそうだが、アルコールも飲まずによくそのテンションが続くものだ。このディナークルーズは観光客相手なので、もちろん、夜9時か10時には終わってしまうのだが。

ベリーダンスといえば、日本人が想像するような妖艶なアラブ美女、というよりも、どちらかというとふくよかな体型の踊り子の方が多かったらしい。さすがにある程度、お腹(belly)にお肉でもついていないと、踊りも絵にならないのか。ただ、昨今はロシアや東欧等から踊り子が入ってきており、徐々に細身のスタイルが主流となりつつあるとのこと。ちなみに現地では日本人のベリーダンサーも活躍して人気があるらしい。
posted by としゆき at 22:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エジプト関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

メンフィス、サッカラ、ダハシュール

ピラミッドとスフィンクス』、

王家の谷』、

エジプトの神々』、

ラムセス2世』の続き。

エジプト6日目。昨日、アブシンベル神殿を観光した後、アスワン経由でカイロに戻っており、本日はカイロ近郊の観光となる。まずはメンフィスへ。カイロは思った以上に近代的な都市だが、バスで小一時間程度のこの辺りへ来るといかにも鄙びた雰囲気が増してくる。イスラム世界特有のブルガを着用して畑を耕す姿等を見ていると何とも微笑ましい。エジプトは観光国と言うこともあって、戒律も極端に厳しいものではないらしい。実際、サウジアラビア等では決して見られないという女性独りでの車の運転も珍しくなかった。

メンフィスで最も有名なのは、ラムセス2世像。足の部分が破損してしまっているため、横たわって展示されている。タイの寝仏ではないが、近くまで目にする事が出来て記念写真を撮るにはもってこいだ。このラムセス像、元々は2体ペアになっていたのだが、もう1体はしばらく前までカイロ市内のラムセス中央駅前、ラムセス広場に立っていた。ところが、排気ガスによる汚染がひどく、今年8月、3大ピラミッドのあるギザ地区へ移転させられた。しかもこの移動、何と像が立った姿勢のまま深夜のカイロ市内を移動すると言うことで、ちょっとしたお祭り騒ぎになり、日本のニュース番組でも報道されていたのを思い出す。ギザでは新たに博物館が建造中で、そこの目玉展示になるという。

ラムセス2世像の近くには、アラバスター(雪花石膏)のスフィンクスも鎮座する。ギザのスフィンクスに比べると随分と小さいものだが、大きさではエジプトで2番目だと言う。ギザ側では欠けてしまっていた鼻も髭もちゃんとついており、小柄な分、全体像が見られて良いかもしれない。僕達が観光の訪れたときにはちょうどスフィンクス前で野犬がスフィンクスと同じ格好をしていたのがおかしかった。

続いてダハシュールにて階段ピラミッドを観光。ピラミッドというと綺麗な四角錘を思い浮かべるが、ピラミッドの歴史の中では、始めに平屋状の石を積み上げていった階段状のピラミッドが先に登場している。とはいえ、遠めに見ると大きさはそれなりにあり、ギザ同様、観光客相手の駱駝業者も大勢屯していた。

さらにサッカラでは屈折ピラミッドを見学。このピラミッドは四角錐の傾きが途中から屈折して、地面から先端に向かう途中で傾斜が緩やかになったものだ。観光バスは砂漠の中を突っ切り、ピラミッドの足元まで移動する事が出来た。ギザよりも観光客も少なく、神秘的なピラミッドのイメージはむしろこちらのほうが強いかもしれない。ところでこの屈折ピラミッドでは騎馬警官ならぬ騎駱駝警官(?)がおり、やはり観光客相手を駱駝に乗せたりして小銭を稼いでいる。しかも商売馴れしており、お礼に1ドルを手渡すと、同僚にも寄越せと催促してきたりする。エジプトの中では警官を始めとする公務員の給料は非常に安いものだそうで、ツアーのガイドもこうした警官のアルバイトはある程度しょうがないのでは…と言っていた。アブシンベル神殿でも銃を携帯した警官と記念撮影したが、やはりお金を要求された。かといって、警察官全員がそうだと言うわけでもなく、中には無償でカメラを撮影してくれるような親切な人もいる。ともかく、屈折ピラミッド前の駱駝撮影では、アラビア風の衣装まで着させてくれて、まるで「アラビアのロレンスのようだ」と言って喜んで1ドルを払ってきたのだった。
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2006年11月08日

ラムセス2世

ピラミッドとスフィンクス』、

王家の谷』、

エジプトの神々』の続き。

ナイル川のアスワンハイダムで多くの神殿が水面下に沈んでしまうこととなった。その代表的なものがエジプト最南部、スーダンまであとわずか50キロメートルの場所にあるアブシンベル神殿だ。この危機に対して、ユネスコが中心となって遺跡の移転計画が持ち上がる。最終的に、神殿を1000個以上に分割して移動させることで、かろうじて水没を免れることとなった。この運動がきっかけとなって制定されたのが有名な「世界遺産」だ(余談だが、アブシンベル神殿は1978年の第1号世界遺産リストには何故か掲載されず、第2号のリストで登録されているそうだ)。

エジプトを旅行しているとあちこちでラムセス2世にちなんだ遺跡を見かける。非常に長身で、90歳近くまで長生きしたこの王は、多くの妻との間に200人以上の子供をもうけるなど、エジプト史上伝説のファラオだ。アブシンベル大神殿はこのラムセス2世によって建造された。

ラムセス2世はヒッタイトとの間で「カディッシュの戦い」に臨み、後にヒッタイトから妻を迎えている。古代エジプトとヒッタイトとの間に結ばれた平和条約は世界初のものだと言う。アブシンベル神殿はこの戦いを記念した壁画も刻まれている。中でもラムセス2世自ら戦車に乗り込み、ヒッタイト軍を蹴散らすレリーフは有名だ。再び余談だが、旧約聖書の「出エジプト記」でモーゼを追った王もラムセス2世だと言われている。

また、ラムセス2世は第一王妃であったネフェルタリ(「最も美しい」の意味)のために、大神殿の横にアブシンベル小神殿も設けている。小神殿最奥部に見られる、ムート、ハトホルの両女神に挟まれたネフェルタリの壁画は、非常に美しいものだった。神殿内部が撮影禁止であったのが非常に残念だ。帰りのアブシンベル空港でもレプリカが壁の壁画となっていた。

ラムセス2世は2月22日に生まれ、10月22日に即位したと言う。そして1年の中でもこの二日間を中心とする数日の間、アブシンベル大神殿の入り口から最深部の至聖所まで一直線に朝日が差し込むデザインとなっている。古代エジプトの天文学や建築技術のレベルの高さを思わせるが、ユネスコによる移転の際にも、この驚くべき設計が保たれた。この至聖所にはプタハ神、ラーハラクティ神、そして神格化されたラムセス2世、アモン・ラー神の坐像が控えている。神殿内の壁画では、神々の寿ぎを受け戦にも勝利するラムセス2世が多く描かれているが、最後の最後にはついに神と同列となるのだ。自己顕示欲が強く、自らの石造を建てさせるだけでなく、他人の遺跡でも気に入れば自分の名前を上書きさせたというだけのことはあるかもしれない。またまた余談だが、プタハ神は闇を司る神であるため、朝日が差し込む時でもプタハ神にだけは日が当たらないようになっている。なんと芸の細かいこと!

(追記)至聖所の神像は、向かって左側から、プタハ神、アモン・ラー神、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ神の順番。ここではラーハラクティ神と書いてしまったが、通常はラー・ホルアクティと表記するのが普通らしい。(アモン・ラー神と同様に)ホルス神=ホルアクティ神と、ラー神が同一視されたもの(2007年1月14日)。
posted by としゆき at 23:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エジプト関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

エジプトの神々

ピラミッドとスフィンクス』、

王家の谷』の続き。

エジプト4日目。また朝早い飛行機でルクソールを発ち、アスワンへ。アスワンといえばダム。教科書にも出てきた、アスワンダムやアスワンハイダムがある街だ。話には聞いていたものの、そのダムの巨大さには脱帽。日本のダムというと、黒四ダムとか、谷間に水をせき止める巨大なコンクリートの建造物…といった印象があるが、そもそも川幅も広く、流れも緩やかなナイル川のこと。どこがダムなんだろう?と思ったら目の前に見える全てがダムだった、という感じ。アスワンハイダムによって堰き止められたナイル川は、巨大人造湖・ナセル湖となっているのだが、その全長は500キロメートルにも及ぶ。もはやちょっとした海だと言っても過言ではない。

さて、歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」と述べているが、上流から運ばれた肥沃な土壌が、ナイル川の洪水によって下流地帯の土地を豊かにし、現在に至る一大農業国エジプトを作り上げた。そう、エジプトは農業国なのだ。ローマ帝国時代のエジプトは小麦の生産地として知られたし、現代でも多くの野菜が取れ、エジプト人の食卓を実り多いものにしている(一時期日本でも流行したモロヘイヤも)。

ところが、洪水対策や水力発電を目的に作られたこのアスワンハイダムにより、洪水こそ収まったものの、農地での塩害や気象不順等、さらに大きな問題が続出しているという。まさに自然は複雑系であるということを実感させられるが、もう一つ問題となったのは、500キロにも渡るナセル湖底に、数多くの遺跡が水没してしまうということだった。「王家の谷」でも書いたとおり、余りに多くの遺跡がゴロゴロしているためにエジプト政府は余り気に成らなかったのかもしれない。余談だが、偶像崇拝を原則禁ずるイスラム教国家エジプトでは、多くの遺跡で石造の顔が落とされていたり、壁画で顔が削られたりしている。アフガニスタンで、イスラム原理主義組織タリバーンがバーミヤンの石仏を爆破したことも記憶に新しいが、自分達(アラブ系エジプト人)とは異なる民族である古代エジプト人の遺跡に対する拘りは、実はそれほどなくて単なる観光材料くらいに考えているのかもしれない。

ナセル湖にはイシス神殿も存在している。イシスというのはエジプト神話に登場する女神で、兄オシリスと結婚している。その仲を妬んだ弟セトに夫=兄オシリスを殺され、その身体はバラバラにされてしまう。イシスは必死に回収するも、生殖器だけが見つからなかったと言う。その後、オシリスとイシスの間にはホルスという子供が生まれており、後のキリスト教における聖母マリアの処女懐胎神話に繋がったと考えられている。イシスは太陽神ラーの娘という説(?)もあったり、多くの神が統合、というか同一視されたりしてエジプト神話は非常に複雑なのだが、キリスト教への影響等も含め、神話学(宗教学)的に興味深いところ。

ちなみに、オシリスは冥界の神として、両腕を身体の前面で交叉させた姿で多くの壁画にも描かれている。ミイラやその棺もやはり腕を交叉させていたことを思い出す。また、ホルスは「太陽の王子」…ではもちろんなくて、隼の頭を持つ姿で描かれており、エジプト航空のシンボルマークにも採用されている。そういえばエジプト航空の機内誌も"Horus"であった。
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2006年11月06日

王家の谷

ピラミッドとスフィンクス』の続き。

エジプト旅行3日目(初日が夜遅くの入りなので、実質2日目)は、深夜3時に起床し、そのまま国内線でエジプト中部ルクソール(古名テーベ)へ。エジプト航空は国内主要都市間に就航しているのだが、飛行機を順次使い送っているため、どこかでトラブルが発生すると次々と遅延が生じる。そのため、3時起床、6時出発の予定でも、実際には空港ロビーで待たされたり、搭乗はしたものの機内で延々待ち続けるということも稀ではないという。

幸いにして僕達の便は遅れることなく順当に予定通り飛んでくれた。ルクソールと言えば1997年に起きたイスラム原理主義者による無差別銃撃テロが記憶に新しい。このテロが起きたのが、ハトシェプスト女王祭殿(ちなみにハトシェプストは古代エジプト唯一の女性ファラオ)。ツタンカーメンの墓等で知られる王家の谷と、岩山一つを挟んだ反対側に立っている。何もない岩だらけの風景に聳え立つこの巨大な建造物はポーランド隊による修復が進んだが、諸事情でポーランド隊が手を引いてしまい、後を継いだのが悪名高きエジプト考古庁だという。発掘された建物のパーツは野ざらしにされ、強烈な日光にさらされて貴重な壁画も色褪せていく。国中が遺跡だらけのこの土地だとはいえ、日本だったらこんなことはないのに、と少し悲しくなった(あ、でも高松塚古墳にはカビが…)。

そしてツアーはそのまま王家の谷へ。ここの一番の目玉はハワード・カーターによって発見されたツタンカーメンの墓。ほとんど盗掘されていないその墓からは、目も眩む様な黄金のマスクを始めとする財宝が発見されている。後日カイロの考古学博物館で実物を目にするが、「小規模」とされる少年王墓でさえこの豪華さなのだから、その他のファラオ達は盗掘されていなかったらいったいどのような宝物の山だったのかと想像力をかきたてる。ところで、ツタンカーメン発掘隊が次々と怪死したという「都市伝説」が有名だが、その中身がいいかげんなのは、たとえば「トンデモ超常現象99の真相」等にも解説されている通り。

王家の谷にはツタンカーメン以外にも60箇所以上の墓が集中している(ツタンカーメンが62番目であり、最近、63番目の墓が発見されたという)。中でも壁画の保存状態が最も良いと言われるラムセス6世の墓を見てみたかったのだが、残念ながら僕達が行ったときは閉鎖中。ところが、ノルウェーの王女様だか誰かが御見学とのことで、閉鎖が解かれて王女は中へ。もちろん、外には警察官やSPが並び、僕達は見学できなかった。

王家の谷は3箇所まで見学出来るチケットなのだが、ツタンカーメン墓だけは別料金。エジプトは総じて物価が安いが、博物館等の見学料金は(日本人の感覚からしても)結構高い。また、アラビア語の数字はいわゆる算用数字と異なるので分かりにくいのだが、英語表記では外国人料金、学生料金しか載っていないのに、アラビア語の現地人向け表記を見るとさらに格安に現地人料金が載っていたりする。遺跡の維持管理にお金がかかることは理解できるが、ここまで露骨に旅行客から集金されると、やや興ざめな感もするが、喜捨の精神で受け入れるとしよう。
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2006年11月05日

ピラミッドとスフィンクス

PH_Sphinx.jpgKFC_Sphinx.jpg

一週間、エジプト旅行に行ってきた。ピラミッドやスフィンクスをこの目で見るのは子供の頃からの憧れだったので、実際に訪れたときの感動もひとしおだった。初日に宿泊したホテルがカイロ・ギザ地区にあり、部屋は「ピラミッド・ビュー」とのことだったのに、到着が深夜となったためすぐには確認できず。翌朝、目覚めたときのテラスからの眺めがとりあえずのピラミッド初体験となった。

遠めに見てもその大きさが分かるギザの3大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカフラー王)、近くまで行ってみると、改めてその巨大建造物の威容が実感できる。エジプトのピラミッドというと砂漠の中の孤高の存在というイメージがあるが、実際にはピラミッドの重量に耐えるべく岩盤の上に立てられており、足許にも小石が転がっている。

このピラミッド周辺には悪名高き駱駝業者が観光客に記念写真を撮らせ、小銭を稼ごうと寄って来る。ただ、こちらも悲しいかな、それが目当てだったりするので、唯々諾々と駱駝に乗ってしまう。ちなみに「地球の歩き方」エジプト編の表紙もピラミッド前で駱駝に乗る観光客の図案だし、エジプトというと頭に浮かぶ光景の典型例なのだろう。

駱駝に乗って写真を撮ると大体1米ドル(エジプトでは米ドルも結構流通している)取られる。現地通貨で言うと5エジプトポンドが大体同額。観光名所にあるお土産屋さんでもかならず「ワンダラー、ワンダラー」と客寄せをしているが、1ドルなら安いし、イスラム教の喜捨(ザカート)の精神に則って気持ちよく払おうとすると、いきなり「5ドル寄越せ」とか言って来るので始末に困る。小銭ばかりたまるから1ドルの束を高額紙幣に両替してくれと言ってきたり、彼らは意外に稼いでいるのかも。ちなみに洗面所に行くと、頼んでもいないのに水道の蛇口を捻ってくれたり、ティッシュペーパーをくれたりするが、この人たちへの相場は50ピアストル(=0.5エジプトポンド)。

さて、ギザのピラミッド近くには、有名な大スフィンクスも控えている。バスで後ろから近づいたので、最初石の塊が落ちていると思ったら、スフィンクスの後頭部だった。ピラミッドをバックにしたスフィンクスの姿も、なかなかに味わいがある。鼻や顎が欠けてしまっているが、ナポレオンが鼻を大砲の標的にしたというのはどうも嘘らしい(ちなみに顎はロンドン大英博物館にある)。

さて、ギザのスフィンクスといえば、「トリビアの泉」でも取り上げられた通り、その視線の先にはケンタッキーフライドチキン(KFC)が立っている。正確には真正面からは少しずれているが、確かにKFCやその上にあるピザハットから眺めると、ただのファーストフードも4000年の味がする…かもしれない?
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2006年10月26日

木乃伊と埃及

上野の科学博物館に行ってきた。「ミイラと古代エジプト展」が行われていたからだ。ミイラといえばエジプトが有名だが、イギリスがエジプトを植民地としていた関係で、ロンドンの大英博物館にはエジプト産(?)のミイラが大量に展示されている(聞くところによると百体を越えるコレクションとか)。そしてまた、日本人はなぜかミイラ好きとのことで、大英博物館でもミイラ展示室には日本人が多く見られるという。僕も以前、大英博物館でロゼッタストーンやミイラを見て回った事がある。そういえば当時(もう10年も前になる)は、ロゼッタストーンも今のようなガラスケース内部でなく、剥き出しの状態で入り口近くにいきなり展示されていたのが印象的だった。

今回の科学博物館のイベントも、大英博物館からの貸し出し展示であった。ミイラは薬になると言うことで文字通り粉々にされたり、ロンドン辺りではミイラ解体ショー等が行われていたという。また、今回の展示にもあったが、金や宝石の装身具を身に着けていることも多く、盗掘されてミイラは失われる一方だった。

そこで。CTスキャナを用いて、ミイラの非破壊検査を行い、観測結果を三次元映像として記録する手法が考案された。今回もそれに基づいた立体映像シアター付の展示であった。以前、「科学の子」で日本科学未来館の3D映像について書いたが、今回もそれを思わせる迫力だった。立体的に眼前にミイラが迫り、そのミイラの足許から体内へと移動していく。高橋克典のナレーションもなかなか合っており、この映像だけでも見る価値がある。途中、ミイラの内部の頭蓋骨の形状から、生前の顔を再現していたが、その後、よく似た顔の俳優へと移り変わり、ミイラとなる前の神官・ネスペルエンネブウの日常生活を描き出す。よく似た顔の役者を探したものだ。まさか、役者の顔に似せて顔を再現したのでもあるまいし…。

ミイラだけでなく、様々な宝石類や像も展示されており、古代エジプトを想起させる展示会であった。…というわけで、今週末よりエジプト旅行に行く前の、良い予習となった。今度は現地で実物を見て来ようと思う。
posted by としゆき at 21:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | エジプト関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする