『太陽の神殿』、
『いざマチュピチュへ』、
『マチュピチュの歩き方』、
『太陽の門』、
『ワイナピチュ』、
『クスコ帰還』、
『アルマス広場』の続き。
翌朝はクスコから空路リマへ入る。ペルーの首都であるこの街も、世界遺産に選ばれている。まずは、旧市街へ。クスコ同様、街の中心にはアルマス広場が位置する。そしてその周囲には、カテドラル、サント・ドミンゴ教会、サン・フランシスコ教会等が位置するのもクスコと同じ。広場中央にある銅像は少しおかしくて、女神像の頭上にリャマがちょこんと座っている。本来は炎を乗せるよう指示されたらしいのだが、「炎」が動物のリャマと同じ発音だったため、女神の頭の上にはペルーではお馴染みのリャマが彫られてしまったのだ。伝達ミスというよりは、地元のペルー人のささやかな反抗という説もあるという(以前に「アウシュビッツとヴィエリチカ」で書いた、"ARBEIT MACHT FREI"の看板のエピソードを思い起こさせる)。
ペルーはピサロによる侵略以後、スペインが支配下に置いたわけだが、ピサロにペルー支配の許可を与えたのはスペイン王カルロス1世であり、彼はまた、神聖ローマ帝国皇帝たるカール5世でもあり、当然ながらハプスブルグ家出身だ。僕なんかはハプスブルグ家というとウィーンやオーストリアのイメージが強いが、スペイン(や後のポルトガル)もハプスブルグ家が治めた土地であり、ハプスブルグ朝スペインはペルー等、新大陸領土も含めて広大な帝国であった。ハプスブルグ家は後に(フランスの傀儡とはいえ)メキシコ皇帝も輩出する。ヨーロッパというと英・仏・独・伊辺りの印象が強く、まだ行ったことのないスペインや、ましてメキシコなんて一体全体どうやって治めていたのか皆目イメージが沸かないが、このアルマス広場に面するタウンホールの建物には、ハプスブルグ家の紋章、双頭の鷲がちゃんと飾られていた。ヨーロッパからも遠く離れたこの土地で、植民地支配という歴史が何となくではあるが身近に感じられた。
衛兵どころか完全武装の装甲車がガードする大統領官邸や、植民地時代を偲ばせるファサードの装飾を眺めて旧市街を歩く。旧市街の建物は保存状態が悪く、もう長い事は持たないのでは…ということだった。事実、あちこちで崩壊しかかった建物も多く目にした。リマ市内観光は駆け足でもあり、サン・フランシスコ教会やサン・マルティン広場をちょっと眺めたくらいで、天野博物館へ行く事になった。
この博物館は日本人・天野芳太郎のコレクションを展示しており、プレ・インカ、中でもチャンカイ文化の土器や織物が展示されている。完全予約制で日本人博物館員の解説もつく。おそらく、リマへのツアーには必ず含まれる訪問先だろう。料金は無料だが、最後にミュージアムショップに通され、ここの売り上げで博物館が維持されてます…と言うわけで、お約束のお土産ショッピング。割と良心的な値段であり、僕も鮮やかな色彩のナスカ土器レプリカを購入してきた。
昼食後、空港で並ばないようにとコンチネンタル航空のオフィスで帰りの航空券を発券してもらうのに30分かけ、長旅の疲れにうとうとしながらホテルへ。23時40分発の飛行機まで、ホテルを利用できるのだ。最初にリマに来たときに泊まったホテルだが、偶然にも部屋も同じ。ホテルの「マイレージ」が溜まっていたので、マッサージを無料で受けたり、ラウンジでお茶したり、夕飯のビュッフェを頂いたりとくつろぎながら後は帰りを待つばかり。1週間のペルー旅行も無事に終える事ができた。初めての南半球、初めての南米だったが、ナスカやマチュピチュの景色に圧倒され、クスコやリマの街並みを楽しみ、なかなか充実した旅行であった。この次、南米を訪れるのは一体いつになるだろうか。
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